ゆめうつつ


明後日に滋賀で開かれるイベント「交流・文芸」用の自主制作映画。
今朝、音編集が終わった。タイトルを『出奔』という。


「なぜ出奔を作ったのか」シャワーを浴びる度に思う。一人の時はいつも思う。

完成させて誰かに見てもらうまで絶対死にたくないと思った。これは今の自分自身を表現した映画だから。
唐突だが、人は何を考えているかわからない。恋人同士でも、夫婦でも、仕事のライバル同士でも基本的には同じ。わからない。
でも心の内が伝わらない事は、伝える上では常識、大前提である。そこで、自分が作る映画は、少しブログに似ていると思った事を書く。

自分にとってブログは、思考と感情の発露の場である。誰にとってもそうかも知れない。
不特定多数に開かれている事が、自分にとっては福音的ですらある。思いが溢れて、もしくは惰性で不特定の人に「これまでこう考えて生きてきて、最近はこう思うんだよ」と話しかけるようなもので、本当は1対1で話をして、相手がどう思うか知りたい。そのチャンスを掴みたい。
伝わらない、分かり合えないからコミュニケーションしたいと思う。また偶然の出会いを面白いと思う。


『出奔』は「匂い」が重要な映画だ。
匂いと偶然が結びつけた出会いを描いている。匂いは記憶にしっかり繋がる紐でもあるし、大事。視覚・聴覚が最優先の映画で嗅覚を刺激するのは、相手の記憶とも繋がるような、出来たらやりたいと思っている事だ。


正直に言って『出奔』はどう思われてもどうでもいい映画である。誤解もいい。ただ、作った結果として、伝える意図への努力が足りなければ、それはとても悪い事。率直に批判してもらえる方、いるといいなと思う。これが今の自分です。


しかしPC編集は時間がかかるなあ。レンダリングは12時までかかる。

これを飲んだら、深夜まで寝よう。