クズと仏性

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edogawa
生きるのは楽しむためだから、楽しくないなら何か変えなければいけない。手っ取り早いのは自分を変えることで、自分を変えたいなら環境を変えるしかない。

環境を変えることで、意識のライトが自分を照らす場所が変わる。自分の中には天才/凡人/賢い/愚か/変態/真面目/傍若無人/弱気/得意/不得意/好き/嫌いなど、いろんな分け方ができる部分が混とんとしてあり、環境を変える事で違う部分にスポットが当たるようになる。

環境を変えるといっても引越や移動だけじゃなく、習慣を変えるだけでもかなり環境が変わる。何か学んでみるとか知り合いを作るとか、真面目や大変なことでなくても、とりあえず思い付いたら行動に移すとよいと思う。

子供の頃、父には「思い付きで行動するな」とよく怒られた。でも思い付いたら、衝動が消えない内に他人に迷惑かからないかなど考えて、かからなければ即行動に移せばよい。時には迷惑がかかってもよいのだと、経験から知った。思い付くこと、思い付くようにしていることの方が、楽しむためには大事だと大人になってからよく思う。

妻のゆかちゃんは介護の学校に通い始めて、元々優れていた役者の表現力というか他者との関わり力が、とても有効に活用されているようだ。さらに過去現在未来すべての生き物を慈しむ菩薩みたいな変わった適性も、実践の中で輝き始めていてすばらしい。夫は妻の話を聞いているだけである。

同じ場所にいても、やることを変えると頭の中の環境が変わる。でも同じ場所で同じことをやり続けてると腐る。ちなみに凄腕の職人などは傍目には同じことやってるように見えて、当人は毎回違うことをやってるように感じていると思う。他人には意味がなくても自分には意味がある。

遊びとは新しい経験をするために実験することだ。自分にとって新しいことを実験し続けていれば毎日楽しくなるはずであり、そこに思想などない。他人を傷付けたりしてなければそれでよい。それがわかる頭とセンスさえ残っていればよい。

山下陽光さんは0円の服屋をやったり、飲食店に百円玉を隠したり、遊びとして大なり小なり社会実験を繰り返している。生活自体が実験と遊びに溢れているが、行動に移す前の思考がしっかりしていて、他人にもわかりやすくてすごい。面白いので本も書いてるし、現代美術館で展示もされている。知らない人は是非検索を。

楽観、理由もなく自分が長生きしそうな気持が減ってきている。すぐにでも死にそうというわけではないが、例えばオリンピックがあると思うと憂鬱で、来年は日本で生きていたくないなと思う。だから環境を変えなきゃと焦る。焦るのが何より嫌いなのに焦る。

人とのつながりを沢山持てないと、この先生きていけないような気がする。ただ複数の人が作る「場」に参加するのは苦手だ。他人のためになることをするのに面倒だと感じたことはないので、個人間で関係性を作ることはできるが、その場の空気やルールを守るのが苦手で、酒乱だったりもするので、長くいる程にぶち壊して他人を傷付けてしまう。場に属せない。

よく優しいとか仏とか言われるが、要は自分がクズだとよく知っているだけのことだ。この先も楽しく生きていくためにどうするのか、考えて実験していかなきゃならない。そんな人間がよく結婚できたな、やっぱり妻はすごいなとも思う。流水不腐、和而不同。