あわ


どうもまだ一日が長く感じられるので早く慣らしたいものである。では早く寝ろと言われるかも知れないが、眠くなるまで寝ない生活が長かったので、規則正しさにストレスを感じてしまう。考えてみると生き物的には不自然な事である。人間的には、だらしないって事か。でも昼寝は気持ちよかった。意識の断絶は自分も間違いなく快楽だと思う。

テレビを布で隠しただけで全く観なくなった。そうなって感じたのは人間は情報でできているんだなあという事。あと水か。ある程度長いスパンで見ると何事か意志を感じさせたりもするが、一つ一つの行動よりも短いミクロな視点で日常を振り返ると、「今、ここ」という情報に対するリアクションを繰り返して生きている。どんな情報をどう消化したか(吐き出したか)が積み重なって、その人の個性も立ち上がってきたりするわけだ。実際リアルタイムではそんなに細切れにして意識する事もないわけだが。でも他者とのコミュニケーションも含めた情報の出し入れの中で「強い気持ち」とかが生まれてくるのは、なんだか不思議なもんだなと思う。
まあ例のごとく自分の行動を観察すると、こうやってブログを書いている事も「将来子供にみせたい」とか「記録」とか以前書いたが、この世に無限なものは無いので、サーバー上の情報もいずれ第三者(ロボットかな)に「これは残すべきか否か」が判断されて整理されるのだと思う。…そうなるとGoogleはネット上の閻魔大王(か大王が持ってる本)になるのかも知れない。
ネットに限らず際立ったものが求められ、自分は何者か他者に簡潔に説明できる事が求められる世の中ではあるが、僕は未だに「それらしく見える現象」として、何ものでもなく生きて死ねたらいいのになあと、甘えた事を考えたりする。でも反面優柔不断な人や実際的な生き方が苦手な人を馬鹿にする事もない。散歩中、フクちゃんが一度よその犬の鼻先でマーキングして驚いた。「こらこら」と怒ったが、はてこれは怒るべき事なのかと思ったりした。人間的には怒るけどね。極端なところは自分に似ている気がする。