かえりたまえ

家への帰途がわからなくなった日の夜、久しぶりに夢を見た
今まで会った人たちが沢山登場してくる
全体としては舞台であり、映画であるような夢だった
父の臨終シーンも劇的で大変よろしかった
楽しそうに演技をして死んでいった


最後の方は、彼女と僕は映像制作の合宿に来ていた
赤子が沢山いる幼稚園が会場で、育児のワークショップも兼ねているようで
やる気に溢れた彼女から「終わったら子供つくろう!」と言われた


夢とか日常で無意識に起こったことには
余計な解釈をいれず、できるだけそのまま形にしたい

そうして表現された夢は、言語化できない感覚や感情を含み
ヒトの言語をもたないものたちとも繋がっている気がするからで
そういうことが、一番興味がある


この前久々にラジオを聴いたら、本谷有希子が本を書く時の話をしていた。
長いこと考え抜いて頭が真っ白になってからひらめいたアイデアだけがモノになると言っていた。
表現における発見だ。まず不条理がある。それをただ受け入れず消化してやろうとすることで、自分の形が変わっていく。
だから本人には物凄く納得感もあるし、見つけた感がある。


興味の方向性と、不条理との闘い方と、どちらも主観である
自分の価値観を問い続ける作業でもある


ザ・ハイロウズの『14才』という曲がある
2001年にはサビの歌詞が、お前は輝く星になるのか、その辺の石ころになるのか、どっちだと言われてる気がした。今は流れ星も路傍の石も同じものだ、ただどっちにしたってお前にとって、意味のある事に挑戦しなければいけないよと聴こえる


若い頃は経験が少ない分、迷わないところがあった。
歳をとって視野が広がると、自分がどこにいるのかわからなくなる。
自分だけの目利きの基準を、羅針盤の如く持たなければならない。


とりあえず迷ったら自分が一番かっこよいと思うものに戻ればいいと思う。
昔と変わらずかっこいいと思えたら、もうそれでいい。


当時はあまり好きじゃなかった