テレビで『容疑者xの…』を見た。泣いた。
久しぶりに井の頭公園をランニング。焼酎を600ml程飲んでいたので寒さは感じない。歩くような速度だったが、公園を5周しようと思った。
夏にも書いたが、この公園は夜も人がたくさんいる。走っている人も沢山いる。酔っているせいで、疲れを感じない事をいいことにだらだらと走る。この時間になると、すれ違っていい匂いがするのは若い女性だけである。ベンチや、街灯の下に沢山いる。気をつけて、と思う。井の頭公園を一周するコースは、池を囲んでアップダウンがある。アップでも、ダウンでも、人がいる。歩いたり、佇んだりしながら意外と暖かい夜を楽しんでいる。池の真ん中あたりでは誰かがカホーンか何か叩きボブ・マーレー風の演奏をしている。鳥居の脇の階段の途中にしゃがみ込んでいるような影を見る。一周目でもだんだんと、息が切れてきた。たるんだ肉を意識すると、まだまだエネルギー的には余裕があると思う。
しばらく走っていると背後からタッ、タッ、タッ、と音がする。次の瞬間には前方の視界に彼の姿が現れる。短髪の若者で、上下とも紫に近い青のウェアを着ている。蹴り足が強い。トレーニングしているなと思う。池の真ん中では今度はアメリカン・フォークソングの断片が聞こえる。ここが2009年師走の日本ではないような気がする。そういえば日曜毎に人形にバイオリンを弾かせていた鼻の尖った外国人はまだいるのだろうか。
気がつくとまた小さな橋を乗り越えて、同じコースを走っている。ベンチにいるカップルも同じ。4週目、と思った瞬間、いや3週目だと頭の中で声があがる。酔っているので、正確な事は分からない。池の端のマンションの近くまでくるとまたタッ、タッ、タッ、と背後から聞こえてくる。うむむとうなり、青紫の後ろ姿を思い、足の先にもっと地面を掴むように、腕にもっとコンパクトに速く振るように指示を出した。スピードは上がったようではあ、はあという声も大きくなる。交番の前を過ぎても誰も前を走らない。あの足音は自分のものだったのかもしれない。また橋を渡って、周回を重ねる。
シダレザクラの下で、彼らは何を話しているのだろう。キスをしているカップルもいる。僕が通り過ぎる随分前から続いているようだ。この時間だと井の頭線の音も聞こえず、静かなものだ。焼き鳥屋のそばの階段からまた、新たな若者たちが降りてくる。鳥居のそばの影は、ただの木の影だった。坂道を登りきったところに便所がある。公園の便所なのに何故か清潔感のある便所で、そこの前のベンチには年配の人がよく座っている。
そういえば中学の陸上部の頃、地元の公園を走っていた。学校のグラウンドは野球部、サッカー部に占領されていたので、近くの城跡のある公園を走っていた。毎年、花見シーズンに酔っぱらいが池に落ちたり、欝か何か本人にしか事情の分からない理由で自殺する者がある公園で、夕暮れ時にはお堀のそばのベンチで異常に髪の長い女を見たりした。その女がこちらを見ないように気をつけていたおかげで、1500メートル走では市で2位になった。どうやら5週目のようである。池の真ん中の連中はまだ歌っている。坂道を一気に走りぬけ、橋を渡る。林道の地蔵様を横目に井の頭線の高架下を通り抜け、完走した。
シラフでは走りきらなかっただろうと思いながら家に着くと、携帯の着信ランプが点滅していた。こちらからかけ直すと、先日の飲み会で、僕がどうしようもない事をしていた事を告発する電話だった。力ない相手の声に、思わず涙がでてきた。

要はその時、周りの目を忘れて欲望の赴くままに振舞っていたという事だった。信頼、期待、友情、好意、全て裏切っていた。飲み会のホストに詫びのメールを入れたが、恐らく出禁になる。しょうもない話である。残りの焼酎を飲みながら考える。元々泣き虫の甘えたれであった。酒を絶ってもストレスが溜まるだけであった。

きっとこれからも都合の良い理屈を見つけて生き延びようとするのだろう。伊集院光が「結局自分のウンコを食って生きていくしかないのだ」と言っていた。でも、それは自分で判断がつく事であり、改めて自分が他人を傷つけ、嫌われ、否定されていた事を知ると、別物として考えてしまう。

これからどうしよう。とりあえず年末年始はバイトだ。STOUTの福袋は相当お得である事は間違いない。