弛緩


トムヤムクンラーメンに余ったご飯を入れる。食べ過ぎた…
朝方NHKアーカイブス比叡山の修行僧の番組をやっていて、コメンテーターの棋士の方が座禅と将棋対局の長考の似ている点について話していた。複数の選択肢から次の一手を選択する際、自分が考えているのではなく、迷っているのではないかと思う事があるという。将棋では全て最善手を打てば必ず勝てる筈だが、集中が切れると欲が出てきて迷い、最善手が打てなくなるのだという。坐禅の目的は悟りを開く事が第一にあると思うが、勝利も悟りも没頭する事によってしか得られないという事だろう。
翻って自分はどうかというと色々なものに惑わされ、迷い続けている。起きている間じゅう、自分では考えているつもりでも、大半の時間は今自分がしている事に集中出来ずに迷っているのかも知れない。まずは集中できる事をみつける事。次に集中している自分を監視する事。世阿弥の離見の見というのも、上級者向けの監視の仕方なのだろうと思う。

今日のお客様は4人だった。努力はしたものの、夕方頃には集中も切れて頭がぼーっとしてしまった。そんな時に書いた子供の絵。鼻水が風に流されている。