暴言

今の日本の若者(特に社会人になって以降)の多くは「自己責任」という考えに追い込まれているらしい。ブログでもそういう話をしばしば見かける。特に貧困に関わる話題で語られる事が多い。自分の現状は自分の過去の行動の結果として、現状に過度の不満があっても自業自得と考える人が多く、自分を追い詰めがちなのだそうだ。
また日本では社会的な失敗(受験、就職、起業などにおける失敗)を重要に考えがちで、一度失敗したら二度と成功できないような取り返しのつかない事のように考える風潮があるという。いわゆる「滑り台型社会」として、こちらも貧困に関わる話題によくのぼる話である。
ソースの掲載がなくて申し訳ないが、ここで大した事を言う訳でもないし、普段ネットやNHKの番組などで社会問題について見たことのある人なら(そして自分が当事者である「今の日本の若者」にあたるような人なら)目にする話題ではないかと思うので、勘弁願いたい。
こういった話題は現代社会が抱える問題に関連して出たりするのだが、個人的には「なるほど」と思いながらも共感できない話だ。自分が社会的に特別とは(自分で自分を観察するように他人は観察できないという事以外では)全く思わないが、「原因→結果」を重視する事は歴史や社会の構造的な分析には合っていても、日常的な経験には相容れないものがある。
日常では「原因→結果」はその人の常識や経験に即して、行動の前提や予測として使われたり、反省の材料にはなったりするが、まさに今何かしようとする時には「気分」「直感」がそうさせるのであり、特に自分のような身体状態が意識に及ぼす影響が強く、半ば「それでいい」と思っているような意志の弱い不真面目な者にとって「原因→結果」は、埃のようにどうでもいいような事なのである。

まあ、当たり前だ。社会学上の視点と日常的な経験上の視点は比較しようもないだろう。では何故こんな事を書いたかというと「いま自分が辛いのは自己責任だけじゃなくて、社会の所為でもあるんだ!」と思えるようになる事で自殺を思いとどまる人がいる一方で、自分以外に責任転嫁する人が増えたら面倒だなあと思ったからである。


否。そもそも「クチャクチャ音を立てて食事する人」に立て続けに出くわしたのが原因かもしれない。そういう人には申し訳ないが、運悪く食事中のそういう人の近くにいると「勝手に」その人の口の中が「視覚的に」想像されてヒジョーーーーに気持ち悪く、殺意を覚える位腹が立つのである。「うるせえぇーーー!!!」と叫びながら首根っこ掴みたくなるし「クチャクチャ音を立てて食事する人」を徹底的に排除したいとさえ思う。ファシズム

まあ、無理な話だ。しかしほんとに大した話じゃないなあ。実は明日は六本木ヒルズに行くのだが…「クチャクチャ音を立てて食事する人」が周りに来ませんように。