反省

昨日のブログではまた酒を飲んで愚痴をこぼしてしまった。恥ずかしいねえ。

3mの堀北真希。展示会で六本木ヒルズに行った。平日の昼は会社員が多いのかと思っていたが、買い物や遊びにきている人も多く、くもり空の下コーヒーショップもほとんど満席だった。会場はアカデミーヒルズの40、49階。順路が指定されていたせいか、割とじっくり見たつもりでも1時間半程で用が済んだ。夕方までかかると思っていたので拍子抜けする。窓からの景色は真っ白で東京っぽかった。

時間潰しもかねて森美術館の『医学と芸術展』へ。主にアート作品に期待していたのだが、イギリスのウェルカム財団から協力提供された医学的なコレクションもかなり面白かった。


「医学と芸術展:生命(いのち)と愛の未来を探る」展示風景 第1部 身体の発見 by Mori Art Museum.

入場早々1910年代のレントゲン機に「…なにこれ、超カッコイイ」とテンションが上がる。機械フェチじゃなくても大型の医療器具は存在自体に興味をそそられた。一方『16歳の少女の為の義手』の作りにほろっとしたり、ダーウィンが使っていた杖やアメリカ大統領の入れ歯、ナイチンゲール(確か)の履いていた靴に感心したりした。手術道具は見ていると体がムズムズして面白い。教育用に作られた人体模型のミニチュアや、解剖図に描かれた人間のアンニュイな表情には、なんだか暗い欲望が満たされる感じがした。優雅な装飾が施された箱の中の升目にびっしり並んだ義眼など、フェティッシュな魅力も感じられる。医学コレクションは東西問わず沢山あり、過去から現在の最新のものまで楽しめた。
一枚のガラス板があった。照明を受けて前後に茶色い半透明な影を落としている。樹脂で固められた人間の輪切りである。頭から腰の辺りまでのものでとても観察し易い高さに展示してあった。思い切り近づいて見ると、体表面には短い体毛がある。まだ表面に出てきていない毛も見える。これは医学的な展示だったか、デミアン・ハーストの有名な牛の輪切りみたいなアート作品だったか忘れたが、これを見た辺りからようやく「他人事じゃない」と、感覚が慎重になっていった。


《Argument from Nowhere》《Documentation of "Argument from Nowhere"》

河鍋暁斎の『骸骨の花火』など見て和んでいる内はまだ他人事で、安全地帯から作品を観ていられたのだが、これはそんな甘い展覧会ではなかったのだった。アルヴィン・ザフラ『どこからでもない議論』は人の頭蓋骨を紙やすりに擦り付けて出来た作品。頭蓋骨が無くなるまで2週間、ひたすら黒いサンドペーパーにゴリッゴリッと頭蓋骨を擦り続けたそうで、サンドペーパーと制作の様子を写したビデオが展示されていた。自分の頭蓋骨でも同じような作品は作れる訳で。当たり前だがこうなるとムズムズを通り越して「そうなんだなあ」と感じ入るしかないのであった。
ウォルター・シェルス『Life Before Death』死の直前・直後の写真が2対ずつ。大きなモノクロ写真である。5人分あったと思う。生まれて初めて、写真を観て泣いた。5人はそれぞれ年齢も性別も(恐らく死因も)バラバラなのだが、その展示の順番に感謝するしかない。最後の老女の写真のおかげで涙が止まった。
松井冬子の絵を初めて観れたし、バイオテクノロジーを使った作品も、不平を合唱するプロジェクトも面白かった。表現者を自認するなら自分の存在そのものと向き合わなければならないという思いもあり、何かのヒントになればという軽い気持ちで入った展覧会だったが、あっけなく心を揺さぶられ、展覧会の構成に救われるという有様であった。すっごく面白いからお勧めである。

明治通り沿いの喫茶店「カフェ・ド・イネ」のコーヒーはとても美味しいのだが閉まっていた。夜は早稲田に芝居を観に行った。「リキさん」こと冨澤力さんが所属する流山児★事務所の『標的家族』である。展示会が予想外に早く終り、観るなら今日しかないなと連絡したのだった。開場まで早稲田界隈を散歩する。初めてパクチーを食べたカレー屋とか、映画の撮影で借りたお店とか記憶が蘇ってきて面白かった。今月は色々あって観劇できるのはこれだけである。なんというか安心して観ていられる芝居だった。ゑびす絡みではこうさん、カツさんが来ていた。「仕事が減っちゃって…」と不景気な話をした。花寺では弦弓さんが来ていた。髪が伸びててすぐには判らなかった。「私行けないからー」とレベッカ・ホルンの展覧会のチケットを自分にくれようとしてくれた。残念ながら自分ももう行けないのだった。
劇場での飲み会にお邪魔した。リキさんに「生は一人で何かやるより誰かとやる方がいいよ」と言われた。言われてみるとこの10年は「ひとりでできるもん」でやってきたように思う。あれこれ手を出してはみたが、いまだに納得できないというのは、そういう事なのかもしれない。まあ、もう少し整理してみよう。飲み会では例のごとく自分ばかり喋ってしまい、申し訳なかった。でもメールで「お互い表現者として頑張って行きましょう。またゆっくり飲みましょう」と優しいリキさんなのだった。