愛のむきだし

信号が変わりかけの横断歩道を走って渡る時に、渡り切る手前で「もう渡れたー」とスローダウンすると、ちょっと後ろめたさを感じる事がある。
何故人は「犬は裏切らない」とか言うんだろう。人は裏切るものだし、信じる思いが強すぎると心にケガをする。何故裏切りが起こるのかといえば、人は常に変化するのに変化しないだろうと思い込むからだ。犬は老化はするが変化はしない。

そうかね
では何故思い込むのかといえば、他人の気持ちは判らないからだ。自分の内面の変化は認めても、他人の内面の変化は判らないので、心変わりを心配するよりは変わってないだろうと思い込む。ストレスがないのでそうするのである。で、結局傷付く。
だったら個人的な人間関係においても、常に半信半疑でいるのがいいのではないかと、痛い思いを繰り返した結果思うようになる。ニヒリズムに走ったり。そして裏切りにあっても「あーやっぱりねー」とあまりショックも感じず、すぐに立ち直るが、自分が本当は何を求めているのか一時的に判らなくなったりする。江古田ちゃんみたいに。

※江古田ちゃん面白いよ!
多くの人は「100%信じる♡」と「100%信じない」の間で、半信半疑のまま行ったり来たりしている。人は状況(情報)に応じて変わる。ところが人格の全てをあげてその人だけを信じられる事を理想とする、とんでもないものがある。恋愛である。恋愛関係を成立させる為の「好意の固定」みたいなものに必要なエネルギーと妄想力は、他の人間関係と比べると強い。

早稲田松竹園子温監督の『愛のむきだし』を観た。「237分なんて久々〜」と思っていたが、全然長さを感じなかったなあ。伝わってくる強さは何だ?!愛のむきだしだ!そこで冒頭の横断歩道の感覚を思い出したのだった。英会話を身につける事が目的では英会話は身に付かない。身に付けてしたい事に対する思いの強さが重要なのである。サッカー選手は「ゴールポストの向こう」に向かってシュートを放つという。何でもそうだと思うが、目的のその先が無いと目的は達成できないものなのだ。ところが『愛のむきだし』は、その先など見据えていない。周りの目など気にせず、ゴールに向かって爆走!という感じなのだ。そして見事ゴールした。お見事である。おそらく監督にとっては「愛のむきだし」など既にクリアしているものなのだろう。サービス精神満載。楽曲やゼロ教団のデザインセンスも格好いい。ユウ格好いい、ヨーコかわい過ぎる(と簡単に書いたが素晴らしかった)。そしてコイケ!あんなに小憎たらしくて歪んだ悲しいキャラクターが見事にはまってた。寒気がしたぜ。面白かったっす。