役立たず

食事、睡眠、毎日のルーチンとは別の事で、妙な高揚と共に頭に去来する考えを思いつきという。高揚感があるのは自分にとって未知の要素があるからで、中には他人にとってはどうなのか確かめたくなる考えもあるからだと思う。ちなみに「あれなんだったけな」という事も日常では多いが、こちらは停滞感に苛々するだけである。
さあ、思いついたはいいが、何が起こるのか。傍目には何も起こらない事が多い。現状の変化に対応している内に、思いついた自分も変化してしまい、思いつき自体を忘れてしまうのである。しかし変化を繰り返してもなお残る思いつきは、自分にとって残す熱意のある何かと言う事になる。本人にもそれが何かは解らなくてもそうなのだ。
そもそも思いつきは全て断片であっても、最終的には行動を目指す意志である。しかしそれを即実行できない場合は、多少長く残った思いつきでもやはり高揚感は薄れ、内容も忘れてしまう。折りに触れ蘇る事もあるが、「あれなんだったけな」になってしまう事も多い。
では、発見の高揚感と共に行動を目指す考えとは何か。それは人によって違う。自分にとってのそれは根本的な変化への情熱だ。質的に同じ自分でいる事が嫌なのだ。所謂「これで私、変われる気がする!」というやつである。自分で言うのも何だが、役に立たない。関係ないけど。
以前人間は情報で出来ていると書いたが、読み取る事ができるものが情報だとすると、語弊があった。感情など認識されても正確に読み取れる形に変換できないものも確かに存在していると思うからだ。さらにtwitterでも書いたが、食欲、性欲、睡眠欲などに負けない程の快感を脳に与えるのは作る事であり、目的や手段は違っても頻繁に作りたい衝動は起こるものだ。それも情報としては読み取る事はできない。…情を報せると書くんだな。日本語って素敵。
ハイデガー先生の講演を聞きながらニーチェさんの思想を追っているこの頃。全然進まない。更にDVDを観たり、他の本を読んだりしている。哲学者とは、厳密な説明をするものなのだなあ。最後まで読んでも理解はできないだろうと思うが、嫌いじゃないので楽しい。