意味の無い話

契機は何だったんだろう。多分、何と呼ぶ事も出来ないような、何もしていない時間があって、何かする前に、ちょっと落ち着いてみたのだろう。そしたら自分には書きたい事が有るような、書く事ではっきりする事が有るような、そんな気になったのだった。
取り返しの付かない事について。
何かの失敗や、それに付随する落ち込んだ気分のような、ネガティブなものを連想しがちだが、そうではない人生における取り返しの付かなさというものが有る。それは良い、悪いと判断される以前の、Aをした時にBはしなかった位の単なる選択についての話で、時間は一方向に過ぎるという原則があり、自分は一人しかいないという条件を満たす者、つまり誰にとっても当たり前の話である。過去の行動が意識に上るのは、自分にとって何か気になる結果になった場合であり、その因果関係を検証するのは今後似たような状況で自分がとるべき行動の参考にする為だ。この意識の働きは、自分が何かに感動している時にも起こる。何故感動するのかといえば、感動している理由を知っているからであり、今まさに感動している時、これはかけがえの無い経験になるだろうという事を知っているのである。時間に関する事においては「取り返しの付かない」と「かけがえの無い」は同じ事を指している。全く同じ瞬間は二度と来ないので、これから取り返しの付かない事をするかもしれないし、これまでかけがえの無い体験をしてきたかもしれないが、いずれにせよ時は過ぎ、今は必ず失われる。
人はこの事を本能的に知っている生き物である。人間の全ての行為と、全ての感情の根底には、取り返しの付かなさへのこだわりが有る。