フクちゃんの散歩の後、ご飯を食べたら眠くなってしまい、夕方まで午睡。牛になる。

田舎の、そこそこ古い平屋建ての日本家屋。縁側に面した大きな座敷が二間、開け放たれてあり、大勢の小学生位の年頃の子供と数人の大人が思い思いに座っている。皆質素な服装、顔つきも素朴な感じ。時刻は日没間近、季節は夏。のんびりした空気が流れている。やがて沢山のお菓子が運ばれてきて子供達に振舞われる。子供の一人である自分のところにも来た。お供え物を置くような台の上に山盛りで、多分潰した芋か豆を小さく成形し、砂糖をたっぷりまぶしたもの。貴重な砂糖を食べられて子供心に嬉しいと思う。食べながら、自分は明日死ぬ訳だけど、どんな気持ちするかなあと想像して身震いがした(特攻隊のように、明日何かの為に死ぬ事になっていた)。

腹痛を覚えてトイレに駆け込む。途中、役者達がだるそうに待機している脇の階段を走り降りる。エラく狭い個室のトイレで、便意を催しているはずが、何故か洗面台に嘔吐する。あまりにも沢山だったのでこれは片付けるの時間かかるなあと思い、トイレの外を窺うと、詰襟の学生服を着た金髪の30代位の男が待っていた。トイレの外はすぐ劇場の客席になっており、満席に近い。聴衆は神父のような人の話を聞いているようである。男に詫び、再度吐しゃ物に向き合う。

という夢を覚えていた。眠っている間、それまでに外部から自分が得た情報を脳が処理する際に夢を見るという。無意識では整理、圧縮、分解(?)がさくさくと行われているのだろうが、それを見る意識の価値観とか好みの影響が見せる情景や展開はやはり興味深い。いつか夢のメモが映画の一部として実体化できればと思う。