たいへん

バウスで2008年の韓国映画『息もできない』を観た。情操教育には最適のしっかりした映画。出てくる人全員、行動の動機がまとも過ぎる位まともで、誰が見ても暴力による不幸の連鎖を実感できるだろう。そもそもの原因を社会や人間の弱さに追求するような事はしていない。出演者の演技は皆リアルなので、リアルに実感するだけである(それもすごい事ではある)。韓国映画はあまり観た事がないが、キム・ギドク位の変態性が無いとやっぱり物足りないなあ。

話は変わるが、自分は中学の頃まで、それは美しい手をしていたらしい。ピアノ教室に通っていた為か指先はほっそりと長く伸び、骨を鳴らす癖があったので少々節張ってはいたがそれも魅力的だったらしい。同級生の友達(男)が毎日のように僕の手を褒めては撫でたり揉んだりしてきた位であったからそうらしいのである。やがて男性ホルモンの分泌が盛んになり、鼻の脂も活発に出る頃には、どんどん肌が荒れ皺も深くなっていったが、その友達に悪い気がして母親のハンドクリームなど塗ってみたりしたものだ。高校ではラグビー部に入った。度重なる突き指、脱臼でゴツく変形していく手を見て、ひそかにため息をつく事もあった。

ラグビーでは耳も潰した。首は太くなり、体は筋肉でガチガチであった。もちろん顔も美形ではない。それなのに体のデカイある友達は事有る毎に後ろから抱きしめてくるのだった(やがてなくなったが)。別の友達と二人で、放課後にデパ地下でラーメンなどすすっていた時「俺いま、なんかデートしてる気分だわ」としみじみと言われた事もある。傷つけない程度に陽気に気持ち悪がってみせてはいたが、実はまんざらでもない気持ちもあったと思う。

何が言いたいかというと、まるで女性に対する様に自分が扱われる経験をすると、自分にはそのつもりが無くても自分の中の女性を意識するようになるという事である。そういえば小学生の頃もそんな事があったな…検証を始めるのだ。自分は男で、恋愛対象は女であるという事は間違い無いようだけど、むしろ女性に対しては憧れの気持ちが強いのではないか?とか、女っ気の無い男集団の中にいるとまるで母性があるかのように、自然と相手の世話をあれこれしたりしていないか?など。それは大学に入っても続き、寮でも朝目を覚ますと酔っ払った先輩が見下ろしていたりしていると「やっぱり」などと思ったりしたものだ。

誰でも両性具有的なところはあると思う。問題はきっかけは何であれ、自分で好きなように決めたらいいのに、決めずに保留し続ける事である。優柔不断による揺らぎは、性に関する事だけではなく、アイデンティティ全般に関わってくる問題なのである。自分の人生をどう生きるかという一番重要な問に対して、あれもよい、これもよいといつまでも態度を定めないでいると、どんどん自分が解らなくなっていくのである。他人に対してもどうでもよくなり、あれも解る、これも解るとなるので、拒絶反応も無く、ただただ(相手にとって都合のいい)優しい人になってしまうのだ。

勿論、歳を重ねる毎にますます解らなくなってしまうので、困らない程度には決めてある。世界を知れば知るほど、個別の問題(極めて個人的な悩みも含め)の答えは外(他人)に有り、フラットに情報、人、物が移動出来る程に解決されるだろうと思う一方で、一番重要な問い(自分の人生をどう使うか)の答えは自分にしか出せないと実感する。答えは自分で決めればいいので、何でもいい。ただ自分のこれまでの行動、選択を振り返ってみても、無意識では既に答えは出ている気がする。既に自覚して行動に移している人でなくても、自我が芽生えて以降であれば誰もが答えは出ているのだ。

生物的なエロスとタナトスという欲望を如何に社会で実現させるか。社会は自然発生的なものであっても人工的なものだ。個別の答えはその実現の過程である程度は言語化され得るだろう。折に触れ、言葉で答えを見定めようとしてきた10年。自分にとってのそれは、自分と他人の信念を崩し、価値観を破壊し、新しいものを提示してみせる事だったように思う。何も信じず、信頼も求めず、流れに身を委ねる生き方をしてきた。はい、何でもアリです。はい、自分が死なない限り(最悪の死に方も想定済。その匂いがしただけで発狂する自信がある)は何でも受け入れます。迷うことなく、やらないよりはやった方がいいです。

結果、自分の欲望は社会において大して実現していないのだった。その事に不満は無いようでいて、無意識ではとんでもないストレスが溜まっているのかもしれない。または精神的な奇形化(というと大げさだが)は完了しており、これからもっとうまいやり方を探し続けるのかも知れない。あまり実現させる事へのこだわりは無いので、そのまま死ぬ可能性は高い。ともあれ、特に最近は自分の在り方に対する原理主義的な思いは薄れつつある。えらい自堕落というかゆるい気分なのである。心の底からなるようになるさと思えるようになってしまったのかもしれない。社会のゴミである。

結局長々とまた自分の事を語ってしまった。ネガティブな感情は一切ないので、ただのうわ言として捉えて頂ければ幸いだ。
個人的な知り合いにとっては大変かもしれないが、ナニ、格別深くは考えてない奴だから、扱い易い筈である。ただ長期的には付き合えない奴と思われると思うとちょっと寂しい。