休日。金曜の「昭和の日」まで休みである。フクちゃんの散歩は日課でありバイトである。昼間に風呂場で洗ってやった。
近藤ようこ女史のtwitter(@suikyokitan)で「犬悦」という言葉を知った。非実在青少年絡みで出てきた言葉だろうか。

  • 汚い話ですが、犬悦といえば吐しゃ物のことなんですよね。犬かわいそう
  • 犬が喜んで食べるからなんですって。昔の犬の食生活って・・・(泣き)

に対応する形で他の方が

  • 「犬食い」だと汚い食べ方
  • 勝っても「勝ち犬」って言わないしね
  • 「負け犬」も可哀そう

とあった。確かに「犬」って日本語では卑下される言葉につく事が多い。英語ではどうかというと
"Underdog"が「敗北者」で"Top dog"が「勝者」らしい。あくまで犬の世界の話かもしれないが、勝者にも犬という語を使う。
"He is my dog."が「あいつはおれの友達だ」なら"He is a dog."は「あいつは嫌なやつだ」となる。でも、日本ほど犬を卑下してみてない感じ。

フクちゃんを散歩していて思うのは「相互依存」だ。自分はバイトである。共生まではいかないけど、面倒みてくれる(餌とか)なら、付き合ってやってもいいよというフクちゃんの気持ちを感じる(気がする)。犬、猫は人間の哺乳類ペットの代名詞だと思うが、猫は見た目の優美さと気まぐれな所も含めて人に認められている一方、犬は人に従順さを認められている。元々猫好きの自分にとっては、犬の従順さは、犬の欲望の求め方が人間の都合にたまたまあってただけだと思う。

首輪にリードをつけているというビジュアルから犬を人の支配下に置いているみたいな感覚は非常に気持ち悪いと思う。犬はあくまで人につきあってくれてるのだ。と思ったら、人間が思い込みで世界と世界に住む人間以外の生き物、自然や、人間以外の世界を人間社会の為のマテリアルとしてしかみてないという事も気持ち悪いなあと思った。

社会や宗教は言うまでもなく、個人的な思い込みもそうだ。環境破壊や自然保護も、人間以外にとっては可も無く不可も無い事なのだ。ケセラセラ。人間という軸を外せば、何の問題もない。いや、そもそも人間が抱える問題も、人間以外には何の問題でもないのである。それなのに人間は勝手に思い込んで人間以外のものを全て自らの「思い込み」の範疇におさめようとする。人間の自意識ほどヒステリックで無意味なものはない。

そりゃあ、同じ人間として悩んだり、愚かな事をしたり、成し遂げたりという事には共感したりいとおしく思ったりする。でもそれはあくまで人の社会においての事。自分も人間だもの。みつお

世界や人の行けない宇宙において通用するものではない。それなのに人間以外のこの世界は文句も言わず在るがままに存在してくれている。これは人間にとってとても在り難い事なんじゃないか、と思った。

なのでフクちゃんにも感謝しなきゃなあと思ったのだが、やっぱり思い通りにいかないとイラッとして強くリードを引いてしまった。まあでも、全体的には感謝してたよ。と、これまた人の都合のいい事を思うのであった。