みたいな


ヤンヤン夏の思い出 原題:Yi yi (A One and a Two)』を観る。もう10年前の映画になるのか。初めて観た時は「ベストワンかも」と思ったものだ。今観ても傑作だと思う。映画の内容や、主人公ヤンヤンの素晴らしい演技については、他の人が書かれているであろうし、うまく書けないので書かない。今回久々に観て思ったのは、「登場人物は全員、監督(脚本家)自身なんだなあ」という事。これは監督(脚本家)自身と同等の知性や、同質の感性を感じられるようなキャラクターでなければ、観客は面白くない(うそ臭いと感じる)という事である。子供でも異性でも老人でも一緒。フィクション映画を作る大前提というか、原則だ。今回久々に観て、監督・脚本のエドワード・ヤンがどんな人なのか、全てのキャラクターから感じられるような気がした。ナイーブで、真面目で、激しく、自分を誤魔化すのが嫌い。晩年は穏やかに過ごしたいと思っている。自分を含めたどうしようもない人間の愚かさ、過ち、愛情というものを、傷つきながらも愛している。みたいな。
エドワード・ヤン監督は2007年に59歳で亡くなった)

twitterで80歳になったらしたい事を、友達がぽろっとつぶやいていた。自分はジジイになってからしたい事は思いつかないが、それまでにやりたい事はあると書いた。一応列記してみる。

  • 土偶を作りたい
  • 必要な営みとして動物を狩ってみたい
  • 未発見のファラオの墓に入ってみたい

「〜ようになりたい」を除くと、あくまで個人的な、具体的に「やりたい事」はこの3つである。映画や芝居は今取り組んでいる(つもり)なので省いた。で、詳しく書くと土偶は自分の想像上の縄文人のように、無意識をそのまま形のある物にしてみたいという事。狩は、出来ればこちらが優位な状態で行いたいが、狩る・狩られるの生な駆け引き、コミュニケーションがしたいという事。墓は単なるロマンチシズムで、大昔に生きていた人と同じものを感じたいという事。並べて見ると、原始時代に憧れているのか?みたいな。