へくし


渋谷から戻るとそのままフクちゃんの散歩。そして夕方まで寝た。
コロンブス 永遠の海』『Enter the Void』上映最終日だが観られなかった。
吉祥寺プラザで中島哲也監督の『告白』を観た。全然迷いがない、殆ど完璧な映画なんじゃないかと思った。
音楽のPVのようないわゆるスタイリッシュな映像も、やる気のない中学生達の表情も、レディオヘッドの美しい音楽も、非日常っぽくありながら、現代の日常にあるリアルさを感じた。非日常的な手法で日常を感じさせるには、リアルなことの本質を感覚的に掴んでいなければならないと思う。監督は確信的にそれをやってみせてくれた。作品としてよければ「映画的ななんちゃら」とかどうでもいいと思った。
出演者も皆よかった。ある意味極端なキャラクターばかりで(衣装も実にうまかった)、一見オーバーと取られかねない演技も自然(自発的な行為)に見え、キャラの気持ちがストレートに伝わってきた。子供たちもすごいノリノリだったなあ。
松たかこは「演技が上手い」レベルを越えてる。人間くさかった。ヤマザキ春のパン祭〜(意味なし)
業の連鎖は『息もできない』より息苦しく、子供の純粋な論理は『リリイ・シュシュのすべて』より明快で、キャラクターの突き放し加減は『ヒーローショー』の前半の視点のまま最後まで通してる感じ。比べられるもんでもないだろうがそんな感じがした。

続けてフクちゃんの散歩。映画は面白かったのだが、何故人を殺してはいけないのか、子供にどう教えたらいいか考えた。
暴力、殺人による不幸は連鎖する。いずれその不幸は自分に帰ってくる。あなたや、あなたの大事な人が殺されたくないなら、殺すのはやめなさい。いやいや、じゃあ「殺されてもいいなら殺していいの」と言われたら?殺す事で得られるものと、殺さない事で得られるものを、比べて提示してやる。いやいや、人間は先の事と目の前の事を公平に比べたりできない生き物である。
答えは出ない。できるだけ一緒に考える事ができたらと思うばかりだ。

家に帰るとこんなエントリを見つけた。
戦争の体験談を語るわ その1
ユーゴスラビア紛争を6歳で体験したというある日本人男性の告白、という体裁である。

先に結論というか、書いておくけど。
今から話す内容に出てくる子がどうなったか、先に書いておく。
ソニアは殺された。
サニャは爆発に巻き込まれて死んじゃった。
メルヴィナはレイプされて連れ去られた。
メフメット・カマル・ミルコはわからない。
カミーユも死んでしまった。
ドラガンって子は、裏切ったと思っていたけど、実際は違った。
(戦争の体験談を語るわ その1 より)

この男性は一方的にスルツキを責める事ができないと言う。同じ事を自分を守ってくれた人たちもしているからだと。
殺さなければ、殺されるのだと。例え同じ民族であっても、昨日までは隣人であっても、今日は殺し殺される事になるかもしれないのだ。不幸は連鎖して終わりがない。だからやめよう。と言葉で言うのは簡単である。だが一度始まった連鎖の最中において、それを断ち切るのは物凄く難しいのだ。失敗したら死ぬからである。

彼は運良く日本に帰ってくる事ができた。だが自分の無力さに絶望し、自殺するような事を言っている。エントリが投稿されて1ヶ月。
勝手なようだが、生きていて欲しいと思った。

実話だろうがフィクションだろうが、負の連鎖にはまった人の物語は、はまる前の人にとっては殺人・暴力の抑止になる気がする。物語の共感させる力には、そういう効果もあるのだと思う。だから彼は無力ではない。

風邪は治っていた。