こどものやまい


自分は間違いなく男性なのだけど、その事があまり好きじゃないみたい。だからといって女性の体になりたいわけではないと思う。男らしく、女らしく、両方抵抗感がある。もし女性に生まれていたら、やっぱりその事があまり好きではなかっただろう。男性ホルモンの分泌は滞りない。恋愛対象は間違いなく女性だ。忘れっぽく、単純で、目移りばかりしている自分は男性っぽい。でも、ホルモンとか肉体の前提(がある)として、ずっと何かを見つめている自分がいる。多分「無」を。性別を超えた場所では、皆似たり寄ったりなんじゃないだろうか。またまた意識を浮上させて自分の性向を考えてみる。実はレズビアンだったりして。昔付き合った彼女に「女を馬鹿にするな」と言われた事が一度ある。ともあれ与えられた性別に合った、好ましく思える外見でいたいと思う。

3歳から10歳までピアノ教室でエレクトーンを習っていた。自分からやりたいと言い出したらしいが覚えていない。今思うと、音楽でなにか表現したいからではなく、ピアノ教室という社会に興味があったのだろう。先生の自宅の居間で、生徒は少人数。レッスンの日に、顔を合わせるのはいつも一人か二人だったけど。7年やった割には特に上達もせず、リズム感だけは褒められていた。

大学では授業毎に参加者が違う。一応クラスは割り振られているのだが、誰がクラスメートなのかよく知らなかった。皆、そういう事にはあまり興味がなかったと思う。

確か西洋・東洋の演劇の比較研究みたいな授業の演習で、学生だけで芝居公演をするというものがあった。ゼミっぽい感じで参加者は少人数。興味だけで参加したものの、またイチから人間関係を作るのか、と思って少しメンドくさかったのを覚えている。自分は出演する事になり、別役実の『トイレはこちら』の男を演じた。

公演(なんと元早稲田小劇場だ。客は内輪ばっかりだけど)が終わり、教授の家でワイン飲んだり(豆腐ようを初めて知った)した後は、授業の終了と共に交流は途絶えた。半年くらい経って、学食で同じ芝居をやった学生と偶然会った。で、こう言われた。
「あれ?キャラ変わった?なんか別人みたいだね」そうだよ、別人だもん。

実は授業の最初から、バイト先の知り合いを演じていたのだった。その人はよくしゃべるが、目が優しく、ぶっきらぼうだが面倒見がよく、他人の話をよく聞き、よく拾う人だった。仕事はきっちり、常識人で博識。他人をからかって面白がる事で場を明るくするキャラクターであった。時折疲れた様子を見せるのも好感が持て、自分はいつも感心していた。

試しに彼をやってみたら初対面でも場の緊張感を解す事ができたので、芝居の授業の間はそういう人間になっていた。バイト(ディズニーの駐車場)も長かったので、すっかり彼の人格が無意識に刷り込まれていたようだ。「成田くん、高校の時とか人気者だったでしょ」と言われた。特にそういう覚えはない。議長とか生徒会とかはよくやらされたけど。

小中高と変わる度に昔の知り合いには「あれ、感じ変わったね」と言われた。厳密に言えば誰といるか、どういう状況でいるかでキャラは変わるものだし、精神的にも肉体的にも成長過程なのだから変わるのは当たり前といえば当たり前だが、自分は意識的に変わっていったと思う。その場に応じて必要と思われる役割を果たすのが、意識的に作り上げてきた自分の特性であり、社会性であった。技術でもあった。大事なのは、そこで何かを表現したいわけではないという事だ。

長々と書いてきたが、要は一度素に戻って創作がしたいと思ったのだった。状況に応じた自意識の変化という経験。その指向性は拡散であり、表面的である。ウソとまでは言わないが、表現される事は、表面上にあってはいけない。表面的な自意識によって立つ表現は置いておきたいのだ。
映画は、面白い。だが始めた動機はピアノ教室とそれほど変わらない。ただ時空を切り取り、さらに動き、音もあり、おおもとは言葉で出来ていて、根源には感情がある。という特徴に「表現として色々できて楽しいんじゃないの」とは思っていた。実際作ってみて「自分にはまだ早い」という気持ちが強くなっていった。また映画を作りたくて堪らないとか、絶対に映画にしなければ!という欲望が、イマイチ強くない(今のところ。「大いなる問」とでもいうものが起こってきたらまた変わるだろう)。
最も個人的な創作を検討してみて、遡って考えて、粘土遊びに行き当たった。ありふれた喜びだが、間違いなく喜びがあった。可能ならあの喜びをもう一度体験したいと思う。他人と会う時は、表面的な自意識で社交的にいくだろう。身についたものは仕方がない。メリハリつけたい。