昼間外に出るも、徘徊癖が出て三鷹まで散歩。先日お亡くなりになった建築家が作った天命反転住宅を見に行った。最初の方で井の頭町を通ったが、やたらと宗教関係の施設がありますね。ご苦労様です。
目的地は東八道路沿いにあり、結構距離があった。夜には出かけるので走っていった。以前も書いたが、この道路はいいのである。だって航空宇宙技術研究所とか海上安全技術研究所とか有るんだよ。フェンスの向こうでどんな実験がされているのか、広い敷地内の古びた建物を見ているだけでワクワクする。またJマートなどのホームセンターやファミレス、ゲーセンなどがあるのも良い。この郊外感は地方都市に育ったものにはとても馴染むのである。更に近所に学校がいくつかあるのか、部活で走る中学生の群れと遭遇したり、夜などポツンとした街灯の下で若い男女が話してるのを見かけたりする。その背景はでっかい工場だったりして、とてもいいのである。以上、東八道路がいいと思う理由でした。「意味わかんないよ!」て方は行ってみるとよろし。


10日からテアトル新宿他順次公開の『恐怖』。公開記念のUst企画「恐怖バー」。その最終回ということで新宿ロフトプラスワンに収録を観に行った。やっぱ高橋洋監督は面白い。『発狂する唇』で「いかれた世界を見せてくれる人だ!」と思ってはいたが、トーク中にふと思い出して話すネタも「面白い=いかれてるなんだなあ」と妙に納得し、絶妙の間と軽妙な語り口も相まって超ウケていた。
豪華ゲストの中ではホラー作家の平山夢明さんとの話が面白かった。司会の柳下さんの「なぜホラーを志向したのか」という問いに「ヒューマニズムをやりたくないから」という二人の答え。「人間性とか、金払わなくても日常的に見れるよ!」という話に「なるほど」と思いつつ、そんなに皆、日常的に人間性丸出しで生きてるだろうかと思った。大抵はもっとつまらない、動物的だったり機械的だったり、惰性で生きてるんじゃないかと思った。

また、ホラー映画もしくは映画全般における話かもしれないと思ったキーワードは、「リアクション」「甘え」「語り」であった。リアクションは映画の中のキャラクターが怖がっている様子を見て観客も怖がるという事。感動して泣いてたりというのも同様。どれだけ異常な状況でもキャラクターがノンリアクションだったら、観客は共感できないのかなと。

甘えは日本特有の感覚。乳飲み子の育て方でも、欧米ではビデオを見て監視するサービスが盛況らしいが日本では流行らないらしい。自主性というやつである。恐怖にさらされた猿は、母親に甘えて落ち着いた後でないと立ち向かえないらしい。母親がいないと恐怖に捕らえられ、硬直してしまう。
語りは日本伝統の怪談に通じるテクニック。昨今はやりの恐怖ネタ連発ではなく、じっくり練り上げた恐怖の伝達という方法である。アメリカのホラーでゾンビが鉄板なのは、向こうの人たちは肉体性があり、攻めてこないとピンとこないかららしい。「あれ、なんか変じゃね…?」とか「なんかいる?」だけではだめなのだ。状況説明で怖がらせるのは日本独特の作法なのである。高橋監督は今後語りの恐怖に回帰したいというような事を仰っていた。期待大である。