ひ〜


前の晩飲んだ西荻のバーにあった鉛筆。ここまで使うか。
また飲み過ぎたのか前日の記憶があまりなかった。twitterで沖 冲.(@oki_chu)さんとファミコン世代の特徴として、スペックの限界があるものに、想像力がかきたてられる事を楽しいと感じるというのがあるみたいな話をして、限界まで突き詰めた後の至らなさには、至らないゆえの吸引力があるのでは?みたいな、事を思った。人生は至らないことしかないとも言えるが、要はどれだけ突き詰めたかが、引き付ける力の強さに関わってくるのかな、と。


夜、ついに『恐怖』鑑賞。あるカットで久々に鳥肌が立った。ラスト間近の、中村ゆりの悲鳴のカット。
高橋監督の映画は美女しか出れないに違いない。美とエロが楽しめて嬉しかった。
普通のホラー映画の「モンスター」にあたるのは、今作では脳に施術され変化した女性達である。でも彼女達(というより中村ゆり)は普通の人間よりずっと優しいのである。そして「選民的な優越感が出てきて面白いな〜」とか思ってたらあんな事に。
先日の恐怖バーでは「科学ネタはまだまだいける感じがする」と監督は仰られていたが、こんなのやっぱりこの人にしか撮れないと思った。本気で限界を見据えようとしている。