追悼

結婚式の素材DVDを配送に出し、足立区に向かった。ゑびすの関係者で、役者仲間のさとりさんを悼む会に参加する為。何していいかわからないから飲むつもりだった。何となくニール・ヤングを聴きたくなってかけたら1曲目が沁みたので持っていく事にした。

最近映像編集ばかりで体もろくに洗ってなかったのでシャワーを浴びた。眉毛まで抜け落ちる原因不明の病気にかかっている知り合いがいる。生活が合ってないのかもしれない。彼と状態は違うがタイに行った途端に健康体に戻った知り合いが二人いる。生まれながらの異邦人は、一定数いるのかもしれない。自分は日本が合っていると思う。

混血がもっと進めばいいと思った。新しいものが生まれる可能性が高いから。その分世界も混ざり合うから。厚着して家をでた。日本は寒いから

西日暮里のカクヤスで日本酒とビールを買って舎人ライナーに乗った。荒川がキラキラしていた。集合住宅が多くて萌えた。駅にゑびす主催の進藤さんが自転車で迎えにきてくれた。久しぶりだがいつものようにニコニコしていた。2ケツで会場のご自宅に向かった。

進藤さん宅は新築で予想を裏切る綺麗さだった。最大限に採光がとれるよう工夫された部屋。暖かく、観葉植物も多く、とても居心地がいい。そしてソファからゆったり起き上がったのは珠里さんだった。美しくて息を呑んだ。3年前に胃の全摘出手術を受けたそうだ。恥ずかしながら全く知らなかった。しばらく話して買出しの材料を決め、近所のスーパーへ向かった。

道々、中野であった追悼式の話や、さとりさんの話をした。「いつもさとりを思い出す」と進藤さんは言った。「この間夢に出てきた」と珠里さんは言った。買い物は楽しかった。進藤さんは禿げ上がっているが立派な顔立ちの美男子なので、珠里さんと並んでいるところに自分も居れて嬉しかった。子供みたい。ワインや蒸し鍋の材料を買って帰った。さとりさんは駄菓子が好きだった。

栗の炊き込みご飯。レバーの炒め物や砂肝の和え物、出汁巻きやきんぴらなど、前もってあらかた珠里さんが用意してくれていたので、進藤さんと二人で部屋の片付けや乾き物を皿に入れたり、夜来る人の分を分けたりするがすぐ終わってしまい、買ってきたビールを飲みながらダイニングテーブルについた。台所には珠里さんが立っていて時折料理を運んでくる。それをつまみ食いしながらビールを飲む。午後5時。やっぱり何だか家族の時間のようで嬉しかった。

3人で食卓につき、食事を始める。自分はさとりさんの事は殆ど知らない。以前ゑびすの裏方をやっていた頃、稽古場で顔を合わせ相撲をとったり、飲み会で彼女さんと一緒に会った位である。その事を最初に話して、後は二人の話に質問したり、感想を言ったりした。
さとりさんは自分の印象通り、とても繊細で変態っぽい人だったようだ。そしていつもリアルな実感を求めていたのではないかと話した。酒が入るにつれ、だんだん個人的な思いや体験の話も出てきて、それらを共有していった。とてもいい追悼の会だと思った。

7時頃には芦田さんと西岡兄妹のお兄さんが来た。自転車を借りて、立て続けに駅まで迎えにいった。芦田さんはバンド活動を休止したそうだ。最後のライブ行き損ねた。西岡さんは今年は引っ越したいようで、やたらと物件に詳しかった。二人とも進藤さん宅の綺麗さに驚いていた。芦田さんはワインのいいやつ、西岡さんはスコッチのいいやつをそれぞれ持ってきていた。珠里さんは持ってくる酒の種類がかぶらないのが素晴らしいと笑っていた。

蒸し鍋。大根おろしにポン酢で食べた。自分は既に3人で追悼の話はしてしまったように思っていたが、芦田さん達の話も聞き、こういう風に思うというような事を改めて共有した。そして西岡さんの最新作『神の子供』の話、釣りの話、酒の話など雑談に花が咲いた。珠里さんは自家製の梅酒を持ってきていたが、ワインもおいしそうに少しずつ飲んでいた。9時頃には自分とは初対面のりゅうしょうさん(漢字訊き忘れた)が来て、ますます賑やかになった。ニール・ヤングも聴いた。珠里さんは遅くなる前に進藤さんが自転車で送っていった。

後はひたすら飲みながら話をした。後はあまり覚えていない

・今日のtweet

毎日アートだし、毎日ライブだ。いつ死んでも成仏だ。ありがて〜って感じ。世界、最高、言うことなし。less than a minute ago via Twitter for iPhone

最高の境地