不信

「でも普通は、一日とか一週間とかするとリセット出来るんだよ。でも、突き抜けたキチガイってのは、そのキチガイ要素がリセットされないまま少しずつミルフィーユみたいに積み重なった結果、エライことになっちゃってる人なんだ」
「上手くキチガイになれないヤツって、じゃあまっとうなヤツになるのかというとそうでもなくて、だいたい変態になっちゃうんだよ。変態はダメだよ......弱々しいし、気持ち悪いでしょ」
ウォッチャーだけあって解り易い。一人暮らしを始めた頃、この人の小説には随分(よい意味で)嫌な気持ちにさせられた

愛しいペンギンちゃん。前川さんの小説『劇場コモンセンス』に出てくる劇団「木村座」が公演する脚本が、ペンギンがシロクマに会いに行く話らしい。旅はまだ終わってない

いえーい

 14
×25
 70
480
550

例えば二桁の掛け算をする時、頭に九九など浮かべながら個別に掛け、それぞれ足し算をして答えを出す。{(しごにじゅうのにといんごがごをたしてななじゅう)と(しじゅうはち)を足してくり上がって}言葉で考えてしまうと、自分が正しく数字を捉えているのか信じられない。

 14
×25
 70
280
350

やっぱり間違っていた。14に20を掛けるのに、4×20+10×40と計算していた。視線が1と2と4の間を行き来する時に間違ったのだ。そして間違っていた事にどこか安堵したりする。

学生時代にお世話になった先輩が先日、DTPの仕事を回してくれた。元データの修正だけだから、手間のかかるものではない。既に有るものをいじるだけであり、フォントを含むデザインも元データに合わせるのが正解。そしてより早く、正確にが正解。

広告を作っていた頃の事を思い出す。より早く正確に仕事をする為に、テンプレートを利用する。それを目的に合わせてカスタマイズし、時間の許す限りより「効果的な表現」を目指す。

世の中の人工物は全て感情から出来ている。効果的な表現とはそこに人間がいると感じられるものである。と思う。多くの人に受け入れられる表現もあれば、拒絶されるものもあるが、本質は間違い、固執する人間の姿だと思う。

栲象さんの首くくりを観ている時、あの人が何を考えているのか全く判らない。それでいてとても胸を打つ。他人の考えなど解らなくて当たり前。最強の表現とはただそこに居てみせる事なのだと思う。

計算のように変わらぬ正解が有るものなんてごく一部だ。人前に出て演技をするという事を始めてしまったので、間違い続ける自分を出せたらと思う。自分は正しいなんて死んでも思いたくない。だから自分を疑い続けたい。

まあ、当たり前の事しか書いてない気もするが