居座り

秋の早朝、犬の散歩が心地いい。徹夜明けは余計な言葉に邪魔されず、無意識に身を任せられるので尚更いい。
外と自分の関係性を把握するだけで、体が勝手に動いていく。そこには媚も意図もなく、我が無い状態ゆえに自分でいられる清清しさがある。
俳優は与えられた役割(自分)毎にそういう状態でいなければならないらしい。台詞や感情を無意識に叩き入れ、体が状況に応じて自然に動くように。それでいて不測の事態にも対応できるよう、意識の集中も途切れさせてはならないのだけれど。

他人と一緒にいると、こう思われたいという我がむくむくと湧いて出てきてしまう。誰といるかで違いはあれど、加速度的に頑なになっていく「自分が思う自分」の影響を受けてしまう。それは「自分が思いたい自分」でもあり、「他人に思われたい自分」でもある。これが出ないようになる事を目指して、今はワークショップに通っている。

昔も今も何者でもない人は皆、克己に悩むのか

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会社を辞め『花の寺』に出るのを契機に始めたブログ。最初は見栄も有りましたが、途中からは「他人にどう思われてもいいや」と適当に書き散らしておりました。気持ちは今も変わらないですが、「他人に伝えるという事」をもう少しやらなきゃなんないんじゃないのと思ったら、書けなくなりました。恥ずかしい事です。

父がワクチン作りにきたり、自分がギックリ腰になったり、Webなど勉強する基金訓練に通い始めたり、色々ありました。女装も犬の散歩も続けてます。今もたまに映像編集やDTPなどやったりしてます。今度絵のモデルになるかもしれません。

多分これからもあまり変わらないと思います。「自分が思う自分」でいる事も、無意識ではストレスらしく、時折また爆発するでしょうが、うまいこともってけたらなあと思います。あ、携帯止まりました。