また昨夜は酔ってブログなど書いてしまったが
ロフトプラスワン柳美里「語る」シリーズ第一夜「生きること書くこと」
に出かけたのだった。

ゲストは写真家/作家・藤原新也氏、作家・大野更紗
司会は中島麻美氏

震災後1年以上にわたって福島県南相馬市ミニFM
パーソナリティとなり、地元の人々の「震災前後の街とひとの記憶」を
インタビューし続ける作家・柳美里が、第一回目のゲストに指名したのは、3.11直後より東北の地に立ち、なかでも福島に軸足を置き長期間の取材・撮影を続ける藤原新也氏。

もう一人のゲストには柳美里氏が、その「書く」姿勢に共感を受けたという
作家・大野更紗氏。氏はミャンマー難民研究に取り組んでいるさなか、
自ら難病に見舞われ日本医療における「難民」となってしまった体験を
綴った著書「困ってるひと」(ポプラ社刊)でデビュー、
池田晶子記念 わたくし、つまりnobody賞を受賞し。
福島県出身でもある大野氏と、藤原氏、柳氏、三人の共通点である「福島」、
そして「表現することが困難なものに取り組む」作家としての「生き方、書き方」を語ります。
月刊「創」ブログより

自分にとって福島は震災前も後も情報でしかなく、それは当事者と関わる機会を持たなかったからだ。
その実感の空白を埋められるとは思わないが、震災の当事者とどんな風に向き合っているのか、生の声を聞いてみたいと思った

藤原さんは取材はしないという。メモも取らない。その場に行って、見聞きしたり感じた経験が写真になり、書になるのだそうだ。ある雑誌の連載の最終回が、震災直後にぶつかった。編集者は福島に行けというが、自分は躊躇し、三宅島を提案した。忘れられ、人がいなくなった災害地。その光景の救いのなさ。対象への躊躇の有無は作品に表れるという言葉が印象的だった

大野さんは震災後1年間、沈黙していた。その理由を問われ、言葉にする事で事態が消費されていく事にどうしても耐えられなかったと答えた。大野さんは終始不安定に見えた。当事者と係わり合いのある者として、感情的にならざるを得ないが物書きとして客観的な捉え方も求められる。その苦しみ方は真っ当に見えた。そしてそれを人前でさらけ出している様子は、舞台上で迷子になっている俳優を観ているようでもあった

柳さんは福島に出向いてからも、長い間当事者に話しかけられなかったそうだ。どうあがいても当事者にはなれない。出向いた理由は論理的なものではなく、いかねばならないという思いがあったから。朝鮮から福島へ渡ってきた母親から聞かされた、ダムに埋没した町の話。既に失われた風景への思い。ある事がきっかけで当事者に面と向かって話を聞く事ができた。そのきっかけの描写など作家だなあと思った

質疑応答で主観・客観について批判的な意見が出た。放射能の影響について語る際は、科学的な根拠を提示すべきであり、主観的な物言いは誤解を招くのでよくないといったもの。質問者の態度は一見狭量に見えたが、それは表現力の問題であり考え方はよくわかった
中島さんは場の空気を読んでやや難色を示したものの、完全に主観を排した意見などないと思うと意見を述べた。しかし放射能の問題については、科学的な根拠を元に話せる時期になってきたのではないかとも思うとのこと。中島さんは終始クールであった


何かに向き合う時、その人の生き方、覚悟が見える
ライブだと人柄や、体調や、好みも見える
柳さんは声を発することの大事さにようやく気付いたと言っていた
今回のライブに出演された全員に通じることとして
表現者としてそれぞれの真摯な在り方を感じ背筋が伸びる気がした
福島への実感はまだない