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今月13日からスズナリで上演される『ヘブンイレブン オブ ザ デッド』のチラシ

精神分析で有名なラカンというヒトは、真の「リアル」は死ぬ瞬間にしか実感できない、というようなことを言っている、ととある本で読んだ。日常我々が感じている現実感は、「リアル」ではなく、「リアリティ」のことで、ようは「『現実のように感じる』ことを感じている」だけで、現実を感じているわけではない、ということらしい。では生きているうちには実感できないで、死ぬ瞬間にしか実感できないという現実とは、一体どんなものなのか。
(チラシ裏より抜粋)

きっと「あ、死ぬ」と確信できた時というのは
失うものの形とか手触りみたいなものが
初めてはっきり判るんだろう位しか想像できない
ともあれ初tsumazuki no ishiは楽しみだ


カレンダーの毎月1日には「映画」と書かれているのだが
結局いかない場合が多く(観たい映画はある)
やらないよりやった方がよいとはいえ
やらなかった事などすぐに忘れてしまうので
気にもならない


映画学校にも通ってたくせして
昔から金を使うのはマンガや写真集の方が多く(あと酒)
しりあがり寿の『オーイ・メメントモリ』の完全版を買った。
色々な生を感じさせる場所に行き、死を思い出させる為にメメントモリ!と叫ぶ
「瀕死のエッセイスト」には死相が出ておりすぐ手に吐いた血を見せ付けてくる
でも10年以上に渡り当時の流行につっこみを入れる彼は中々死なない
エッセイだから。取材されてる回は特にそうだ
常に死を意識しながら生きる作者自身の投影でもあるようで
死なないどころかよく食べよく飲みよくボケる。かわいい
あの世の存在を信じさせてくれるものを求める切実さと
生き延びるために必要な日常的なユーモア精神
連載を読んでいた頃は大好きだったが完全版ともなるとなんだか疲れた。


最近『心の悲しみ』とかなんとなくまた西岡兄妹さんのマンガを読み返していて
やっぱり死の匂いが強いのだがやっぱり好きで面白い。
読んでいて全然疲れないのは作品世界が閉じているからかもしれない
入口は日常でも、死というより死を超えた世界の物語だ
しかしこれを芝居にしてしまった進藤さんは改めてヘンだ


ちょっと予定が空いたりして一人でいる時間が長くなると
家にある本やマンガや写真集を読み返す

諏訪敦の『どうせなにもみえない』は
多分2回目だ。表紙に惹かれて衝動買いした最初は
解説も碌によんでなかったが、今回は身近に感じた
諏訪さんは描くものに対してできる限りの取材をする
事故死した娘の肖像を依頼された時は生前の写真や動画だけでなく
両親のデッサンをし、娘に受け継がれた骨格を触り、一流技師による義手の再現とレクチャーまでする
デスマスクはその瞬間をかたどっただけのものだからデスマスクなのである
ドキュメンタリーが現実そのものではなく作家が感じ取った現実であるように
精密画には絵空事を生きた現実と感じさせる為に本物の質感が求められる
役者が物語の人物として、実際に心を動かしている生身の姿をさらけ出す事にも通じる
対象との向き合い方に、諏訪さんの人柄をみるようだった


何であれ作品にメッセージは求めないが
作者に興味がある時はそれを探してしまう
今もしくはこれから自分にとって必要となる答に繋がるもの
それを嗅ぎつけたらリンクを残しておく
部屋にはそういうものが沢山あるので一人でいるのも割と楽しい
逆に外で誰かと会って人から興味を持ち始める事もあるが
内向的と言われる分、その割合は少ないのかもしれない
他人と現実のすり合わせをするのは面白いが疲れる事も多い
外に出た方が沢山の現実を知っただけ、垢抜けるのは間違いない


愛仮のプレミアムチケットを作る為にテーブルを片付けた
部屋を片付けるには、そういう状況さえ用意できればいい
人生の秘訣と思った