ひとが他人といるためには物語が必要です
誰々が作家で、また誰が読者でというような
専任で作られるものではなく
ひとつまたは複数の核の周りに
集団の無意識から読み書きされ続ける物語です


物語を解体したがる癖があります
普段は注意しているのですが
元々がそうなので酒など口にすると途端に壊しにかかります


酔って壊して素面で繕えない
そういうものなのでよりよい自分とか
こうあるべき物語とかを
積み重ねていく事ができません


子供の頃はあれとこれとそれとどれをやろうと
わくわくしていたのが
大人になるとあれとこれとそれをやらなきゃと
溜息をつくだけのことです


子供は永遠不変を望み
大人は納得の終りを望む


大人になってから、
うっかり他人に「変わらないで」と思ってしまう時は
自分の中に、他への固執がうまれている時は
即ち死に対する恐怖感につながりますので
酒を飲むと自動的に固執ごと排除にかかります


そんなのは大人じゃないなと思い
固執を抱えて生きていけるようになりたいと思ってたのですが
もうそれはどうにもならんと開き直って
記憶しない毎日を送っています


そういえば10年くらいとっていたネットのお気に入り情報も
7月にRSSリーダーがなくなって消えました
新聞もTVもネットも見なくなると
たまに見たとき面白いなあと思います


久々に電車に乗ると
雪駄ビーサンだと足を守るのに気を受けなければなのですが
地下鉄の駅のドアの窓から見えた駅名を示す札の下の汚れとか
それ以前に車内で今目にしているもの全て
二度と見ることのない光景だとどうでもよいながらに思います


注意深く生きていると思われる友人が
交通事故にあったりしていて
仕事帰りに入ったラーメン屋のTVで見た
釣られたカジキマグロの勢いなど
思い出したりしている


そんな秋です