ゴーマン

吉祥寺に「吾妻通り」という道があって
由来は知らないけど嫌な名前だと思っていた
自分のものにする、というのはゴーマンな事で
ゴーマンはいけないと思っていた


嫌われるからというより意味がないと思っていた
まあ意味はないんだけど要らないものと思い込んでいた


一人ではできない事に関わる時、できあがるものが好きなら
何より新しい経験ができるならそれでいいと
大体何でも受け入れてきた
酒を飲むと全てが嫌になっていた


いつも、一人でいる自分に会いたかったし
もう一人になっても楽しくならなかった
最近はゴーマンも必要かもと思う事がある
鬱屈が爆発するようなのは誰にとっても迷惑だ
あれはイヤ、これは嫌い、という事は
日常的に小出しにしていないと他人と交わるにも不都合なのである


どこかのお城の紅葉など見たい
夕餉の香りに未来の郷愁を感じたい
今、ゴーマンをやってみようと思っても
ちょっと思いつかない


東京には面白げなものは沢山あるけど
切ないものは恋くらいしかみつけられなかった
他人のゴーマンに夢中になることもそうだ


恋ばかりしていた10年だった