わすれもの

こないだ仕事終わりに立飲み屋で
「あー!以前お仕事ご一緒しましたよね」と
どうやら他人のそら似らしいのだけど
「すげー似てる。話してもまだあの人」って
なんだか申し訳ないきもちになった


出向先で顔を合わせる歳の近いひとに
好きな映画監督を訊かれて鈴木清順しか出てこなかった
カネフスキーシュワンクマイエルも検索して答えた
映画が生活から無くなって久しい


好きな映画監督を訊かれるのは
好きな映画を訊かれるのに
有る意味では殆ど等しい
映画は監督の世界の見方でもあるからだ
子供の頃は娯楽として楽しんでいたけど
東京に来てからは人間のグロテスクさ、その描きかた、
美のバリエーションなど、新しい視点を求めて映画を観ていた

滑稽なものが好きだった
人間のグロテスクさは本能に起因した
光と影の間の極端な針の振れで
そういう状況に置かれた人の在り方は
正直で、行為の善悪問わず必死、懸命な姿は
滑稽にも見えるけど美しく

描き方はスタイルであり
経験上得た価値観や哲学が土台にあり
例えスタイルを持てなかったとしても
せめて渦中の滑稽な人間でありたいと思い

ふきでもの
「自分が関わらない世界は美しい」と感じる自分として
世界に関わっているという事でもあり


忘れていた。
最近実家の郵便番号も、番号といえばあらゆる番号を忘れている
色んな所に携帯の充電器を置くのも
同じ服を何着も用意するのも
忘れても不自由なくするためで
情報を検索して得るものになって
頭の中に容れておく必要がなくなったのか


今日は休みで
このブログの中で「変態」と検索したら
覚えてない自分がたくさん居て怖かった
こういうのもエゴサーチって言うのか
熊の胆のうの話と弟が死んだ話がニュースで流れてきて
泣いたらスッキリした
自分がされて嫌な事はしてはいけません


ともあれ忘れる装置を用意して
取り出す必要がなくなったらおしまい
自己実現のゲームはいやなので
関わった後片づけと、まだ少し
何かのお役に立てるかもというモチベーション
とくそう24なども観ている

とりあえずwebデザインは建築設計に通じるという話
覚えておこうと思った。