ゆれ


過日、前川さんのユニオン旗揚げ公演『かと万〜モグラ町3-5』が終わった
僕は関連チラシ・チケット・パンフ作り、サイトの手当してた位だったけど
2日間の公演では、小屋で仕込みや撤収・飲み会のツマミの買出しなどした


初日の朝、徹夜明けで駆け付けたら早過ぎて
劇場近くの公団住宅でウーロンハイ片手に花見をしてたら
すごく結婚したくなった
twitterで募集かけようとしたところで
携帯の充電が切れて事なきを得た
ちなみに条件は「年齢・思想・結婚経験不問、一度も会った事ない女性の方」だった


やはり舞台はよいもので、それは嘘を立ち上げる面白さとは別に
一緒に立ち上げる人間が、それぞれがそれぞれなりに必死だからである
そんな魅力的な状態と、その場限りの切なさがよくて
あと作品自体もとても楽しめたので、満足して飲みつぶれた


それからは仕事後の飲みもちょいちょい続き
今にいたる。


これまで僕にとって朝まで飲むというのは、
映画でも舞台でも、現場にいる事と同じだった
きつい現場(といってもたかがしれてるが)であるほど
朝まで飲むことで気持ちがリセットされるような気がしていた。


実際、泥酔して記憶を飛ばしたりもしていた訳だけど
ずーっとそこにいて、同じ相手に自分のどうしようもないところ、
疲れて弱ってるところを見せ続けていると
どうでもよいこだわりが、ほんとにどうでもよくなったりするのだった
(次の日がきつくなって、それどころじゃなくなったりもするし)


特に前川さんの舞台で気に入っていたのは、
必要な時だけ前川さんの周囲に集まる人たちの関係性で
責任という意味ではどんな関係性でも変わらないし
また幾らもらえる仕事ができるかというのは
能力面での重要な物差しというのは当然としても
仮組みでもできあがってしまうところ、構造的な弱さが面白かった


もちろんそういう構造になっているのは
前川さんの性格に起因するものでもあるだろうし
情の深さもあるだろうけど
前提として怪物じみた能力の持ち主だから
場ができてしまうという事なのだとも思う


いまは、大学で育英会に借りた奨学金
滞納している市民税の返済のために働いている
去年練馬に越したのもそうだし
仕事総受けでパンクもした


ある日差しの強い昼に、
職場の屋上でたばこを吸っていたら
突然欲情した。生命の危機か
何かに対して、明らかにムラッとしたのだと思うが
なんだか懐かしい感じもした


そんな時、国民年金の滞納免除が可能という
案内が電話で来た。そうか年金というものもあるのだ
平日の昼に休みをとって市役所に行った
手続きを終えて、自転車のライトとベルを買った
久しぶりに自分の為にお金を使った気がした
閉館前のイベント中の映画館を覗いたら
ちょうどとあるドラァグ・クイーン
人生の終わりを描いた映画が始まるところで
あらすじを知って観る事にした


映画は面白かったが
「こんなに色々大変じゃなくていい」と思った
もっと一見何も起こってないような
主人公が誰かもわからないような映画を作りたい
そんなの金を払って見たがる人はいないか


おや地震


それからまた酒を飲むようになった
自分の人間性に欠けている部分を
改めて考えるようになった
人は、どうも自分の属する場にいたいらしい
以前ここで「人生とはいかに寝心地のよいベッドを整えるか」
みたいな事を書いた気がするが
僕にはそういう環境への執着はあるが
場そのものはなんでもよいので
そういうものを失う恐怖がいまいちピンとこない
まだ知らないだけかもしれない


去年はやけもあって家族や繋がりをないがしろにしていた
親が死にかけているのだが、今死んでも何も感じないかもしれない
家庭やかけがえのないものを作る方向にいくか
仮定のまま落ち着かず流れていくか
今は明らかに後者なのだけれど、「それはマズイぞ、後悔するぞ」と
予感しているのかもしれない


そういう欲情なのかもしれない
映画を観終わってまず思ったのは
「女の人とふれあいたい」だったけど


なかなか人生を大事にできないというのは
場を作れない自分を卑下してるからなのか
開き直っているつもりで、納得してない部分があるのか
いい歳をして、恥ずかしいものだが


わからないことがないことが
なかった