今日も

世界には体が存在しているところと、
頭の中で想定されてるものがあって
各々想定する方は、共有されない
イスラム国の人のも、隣室のおっさんのも
想像できないのは、表現が意味不明だったり、
個人的に接点が乏しかったり、
そもそも知りたくないからだ
例え長いこと一緒に生活していた人でも
うまくいくなら知らなくてよかった。
そういうものだ


でも体が脅かされるような気がしたり、
SNSとかで知らされたりして
今までスルーしてきた各々の世界を
ゴリゴリすり合わされると嫌な気持ちになる
本当や真実なんて、どうだっていいのに。
他人の言うそれは信じられないし、
自分の世界を否定されたくないから距離を置く


劇の一番よいところは、明らかに嘘という事だ。
共有できる嘘に昇華された世界は、
それでようやく信じられるものになる。
さらに違う世界に生きる人たちが
同じものを共有できるのが素晴らしい。
だからこそ評価され、価値が有るのだと思う


今日も酔っ払いの戯言である
でも本気らしい
カラオケの個室に染みついた
黴と煙草のにおい
そういうものに自分も
なりつつある。


ボーカルの人、モグラグのおおたさんに似てる気がするんだが