月を見たかい
言いたい事があって文章を書く事はない
伝えたい事があって言う事もない
形にならない書きたい気分があって書く
言わなければならない気分になるから言う
絵も見えたものを形にする為に描かれるようでいて
描きながら描きたい動機を発見していく
自分をそうさせる原因は、いつも知覚の変化にある
知覚する対象が例え自分の内側だったとしても
それは認識の対象である以上、外側の発見である
動機はいつも外側の変化から始まる
話がわかりにくいのはいつもの事だけど
今日はできるだけ形にしてみようと思う
ちなみに月を見たかいというのは、さっきスーパーに買い物に行く途中で
道中の感じが何故か虹を見たかいという曲を思い出させて
彼女は今バイト中でおらず、月も見えなかったので思った言葉だ
いつか死ぬということがピンとこなくても
呼吸や心臓の拍動の数は絶対に有限だと思えるように
形にするという事は回りくどく、時に脱線してしまうが
やっぱり有用な事なのだと思いたい
(人工心肺の事を思いだした)
自分が何を発見したつもりでいるのか
考えてみる為に、人間の中にある自然とそうでないものを
自分がどう思っているのか書いてみる
何故そうしようと思ったかと言うと
彼女から聞いた「大した人間などいない」という会話や
義父から聞いた「ムカシトカゲ」の話がきっかけである
それぞれ書くと長くなるのでめんどくさくなっているが
自分が自然とそうでないものについて考えたのは
好ましいかどうか自分が何で判断しているのかと
改めて考えてみたからである
伝えるにあたり大切な部分をめんどくさがり
言いたい事だけをだらだらと書いているあたり
自分も相当怠惰なものである
メモのつもりで書こう今日も
本絞りはなかなか美味しい気がする
この世界がすばらしいのは自然だ
猫とか可愛らしいものを毎日生み出しているからだ
自分の中にもそのすばらしさがあり
その世界の一部だという事は大変嬉しい
そういう意味では死すら好ましい
生き物の自然を本能と言われる事がある
そうするとつい性欲や食欲など連想するが
状態の変化を受け入れ行動するその全てが
本能であり自然な行いである
好ましく感覚を研ぎ澄ましたいと思う
一方でこの世界の好ましくないもの
歪みは全て社会の中にある
戦争や差別は本質的なものだと言われるが
自然を制御しようとする闘争の過程にあって
人間のひどい行いは全て
変化(自然)を拒みたい気持ちから来ていると思う
死にたくない、心地よくありたい
最初は本能から生じたものが
状態を留めようと他に働きかけ
制度を作り出している内にエゴが入ってくる
それはずっと解消されていない
クソだらけで嫌になるのは当然だ
人間はまだ生態系を手に入れていない
経験や知識から生まれた技術というものは
自然と社会の両方に働きかける
ここに時間をかけながら
カウントダウンに冷や冷やしている
偉人はみんな死んでしまったが
今ある問題は、今生きている人間が死んでも解決しない
制度やルールや差別は共有したものが継続してしまうからだ
教育も継続の役割を持っている
子供の教育を親の為にしている限りダメだ
自然のすばらしさに目を向けてくれて
不完全な社会との折り合いの付け方を
生きる背中を見せて「今この程度か」と
察してもらうのが関の山だ
何の話をしていたのだったか
自然(変化)とエゴ(変化を否定する気持ち)は
誰の中にもある
いくら下らないやつだと思う人の中にも
自然はあるし、素晴らしい人だと思う人の中にも
エゴはある
90歳を過ぎると幸せの感じ方が変わると
朝日新聞に書いていたようだが読んでいない
生き物が死ぬまでに呼吸する回数には限りがあり
留まらない無数の思い、喜びと嘆きにも限りがある
そう思わない人にそう思えと言ってはいけない
いけないから言うのを我慢していると病む
彼女が帰ってくる
「雨を見たかい」だった