宿題

私の好きな言葉に「あとは頼みましたよ」というのがある。
自分で言った事は一度もない。テレビや映画で聞いたセリフである。
言われる方は責任という荷物をもらっていい迷惑かもしれない。
言う方は自分はやりきった。もしくは自分にはやれる事はもうない。
という自己肯定感もしくは自分で決めた感じはあると思う。
それが誰もが納得する言葉か、言った人の思い込み・いい迷惑ととられるかは
状況次第であるが、一度言ってみたいと思う。


「名は体を表す」という。
私の名前は「生」である。即物的な状態を表す言葉でもあり
哲学的かつ相対的に変化する形容詞が付く言葉でもある。
私は生きている限り名は体を表しているとも言えるし
自覚的な何かを志向して生きないと名に相応しい生き方をしていないとも言える。
絶対と相対の両方を孕んだ名前であると思う。


私だけではないと思うが、自分が死ぬ時
生とは何なのか、何であったかと考え、自分に対して答えるものだと思う。
答えは一つであり、人間の数ほどあると思う。
すなわち「私が死ぬまでに感じた事、経験した事全てである」という答。


正解がないなら「これでいいのだ」と言ってしまってもいいし
言葉も知らない者なら言葉にならないし
後に残した者を意識するなら「あとは生きている人で進めてね」と言ってもいいと思う。


私は名前という呪いを自覚しながら生きている。
あなたの子供が欲しいと言われたら
それは私とセックスがしたいという事なのか
子供を作って「あとはよろしく」と言う準備の為なのか
その両方なのか、または全く関係ない理由の為か
考える。結果子供ができるかどうかは判らないが
もし私に子供ができたら生という名前にしようと思う。
生と生きていきたいと思う。


私の両親、生んでくれてありがとう。
人生、いい事も悪い事もあるけど
退屈はしないね。