六日目

朝、コタツで目を覚まし、トイレで用を足す。鏡には一匹の豚が映っていた。ブヒ
明日からバイトで、この体で接客をするのはみっともないと思い、絶食する事にした。まだ他人の目を意識する位の社会性は有るのだ。僕は無所属の俳優ですぶー。

去年の暮に上演された、劇団帰ってきたゑびすの芝居『ほととぎす兄弟』のDVDを作る。everioで撮影したのだが、芝居冒頭のピント合わせがうまくなかったので編集でカバーしてみる。主催の進藤さんの秋田弁は中々聞かせる。自分の郷土言葉を、お客さんに解るように、他の出演者の話す言葉とも馴染むように、且つ自然な訛りに聞こえるように話すというのは中々出来ない。ちゃんと伝わってくる進藤さんはやっぱりいい役者だと思う。僕を役者として使ってくれた進藤さんには複雑な思いがある。
『花の寺』の兵隊役の時は、自分を客観的に見る経験が少なく、演技をしようと思ってもできない僕は、ビジュアルにリアリティをもたせ、大声で兵隊言葉を喚くだけで成立するようにお膳立てをしてくれた。唯一のセリフがある脇役で登場時間も短く、共演者も一人。戦場という設定で、しかも初めて会う場面だから、相手に対する気持ちも単純。自分の事だけで精一杯なのがそのままハマるようなもの。
『凱旋版ワーニおじさん』の時は進藤さん演じる鮫の従者役。殺陣も仕掛けもある大役だった。しかも役の設定は「何を考えているかわからない」というもの。期待の大きさを感じ、また特別扱いされているようにも思え、迷ってしまった。
僕が会社を辞めて役者になろうと思った理由の一つは、成田生という人間自体に付加価値を付けられるかも知れないと思ったからである。つまり「自分しか出来ない事」の一つとして、役者・成田生を考えたのだ。学生の頃から付き合いのある進藤さんの事はそれなりに知っているつもりであったが、どこかで自分でも気づかない特徴を拾い上げ、教えてくれるのではないかという甘えがあった。
進藤さんは僕そのものを役に当てはめたが、役者としての可能性については、僕次第の事であり自分で考えろというスタンスだった。それは考えてみれば当たり前の事で、今になって自分の甘さが恥ずかしい。志の低い者は、ただ使われるだけに終わるのだ。
役者・成田生の今後は闇の中である。