振り返り

今日は成人式が行われたらしい。自分の時は参加しなかった。確か「どうせ騒ぐだけだろう」とか思って行かなかったように記憶しているが定かではない。参加したらしたで別の事を思ったんだと思う。当然だが、二度と経験する機会は無い。
3年前に買った心理学の本を、数日前から読んでいる。何故未来の自分の為を思ってする事が、未来の自分には喜ばれないのか解る本である。3年前に立ち読みして「なるほど」と思ったように、今も頷ける内容であり、要するにこれは人間にとって普遍的な事が書いてあるぞと思った、自分にとって面白い本である。最近は新しい本を買う余裕がなく、本棚の本を読み返しているのである。
人間は過去を思い出す時、過去に起こった事をそのまま思い出すのではなく、記憶に残っている印象的だった部分を無意識に編集して思い出す。思い出している現在の自分が、合理的にどう考えるかも影響してくるので、経験した時の気持ちなどを純粋に思い出すという行為はなかなか難しい。
読書の他、他人のブログを読んだり、DVDを作ったり、映画を観たりしているが、1日以来今日まで自分のブログを更新してこなかった。これまで書いてきたブログを読み返すと、大概酒が入って書いているとはいえ、自己嫌悪の気持ちだけがあったり、なにより面白くない内容が多くて、少し嫌になっていたのだ。
つまらない事をいつまでも覚えていて、新しい事を考えられなくなるよりはマシだと、意識的に忘れる為に書いていたのだが、ここ数日は書かなかった。すると昨日考えた事が今日になっても完全には忘れられずに思考に影響してくる。明日になってもふとした拍子に同じ事が思い浮かんでくる。自分が高校生の頃などは、1年365日そういう状態だったんだと思うと、あの頃の物狂おしいような状態も理解できるような気がする。
しかしである。そうやっていつまでも忘れられずにいる事で、解決すべき問題が変質し、一風変わった考え方の根源になっていたりするのだ。問題は解決していない訳だから、他人には理解してもらえないような内容になっているが、自分にとってはちょっと魅力的なものだったりする。情報量を圧縮する為なのか、脳だか無意識だかがそんな事をする。気狂いの素、一丁上がりである。語られない事により発生するそれは、何故か迫力がある。
とかなんとか。ここ数日コタツの中でモゾモゾやっていたのだが、鬱陶しくなってきた。そこで1日から思い出して書いていく事にした。

バイトの出勤予定表や、過去の天気予報、観た映画や本、webなどの情報を参照しつつ3日目まで書いてみた。写メがあるとその時の気持ちなども思い出しやすいようだが、中々やっぱり時間がかかる。その日思いついた事も、現在考えている事に混ざってきているのでますます思い出し難い。まあ、すっきりしたい気分ではあるので、明日も思い出していこうと思う。

今日の夕飯。豆腐とネギと漬物で丼を作ってみた。味噌汁は例のごとくタマネギと鳥肉。