寝太郎


がじゅまるは陽にあたると、その分だけ緑の部分が伸びる。久々にしげしげと見ると、結構形も変わってきていて、バランスを取る為の「つっかえ棒」的なものも自ら用意し、いつのまにか太くしている。どんなにほったらかしても、彼は自分が生きるチャンスを最大限に生かし、生き延びている。
一方人間である自分も生きている。人間である以上、動いたりしている。徹夜でリズムが狂ったのか早々床についたりしているが、夜中に寒くて目が覚め苛々したりもしている。そんな時、唐突に人生の2つの側面を思った。
一つは自分の在り方について内向的に求めていく側面。これは自分を認識するようには他人を認識できないという意味でのみ、特別な自分への理解を深め、納得しようとする事。機械に例えて言うと内部の仕組についての理解を深める事にあたる。
もう一つは社会の原子としての自分を望むところに運転していく側面。これはどこにでもいる普通の人間として、大枠では何の肩書を持ちどんな仕事をして、他の人間とどんな関係を持つかという事。小さな枠では如何に自分を楽しませる状態を保つかという事。
生存の心配をしていない時、この2つの側面を踏まえて行動しているのだと思った。で、それがどうしたのかというと、それだけである。とりあえずまとまったので、苛々も収まり、眠る事ができた。翌朝、タラバガニの腕みたいなゴキブリが戸棚から落ちてきたのを、とっさに思わず踏み潰す夢を見て、飛び起きた。