観察

ネットを見ていて「ヴィパッサナー」なるものを知った。サンスクリット語で「物事をあるがままに観る」という意味。仏教における瞑想の種類の一つらしい。ヴィパッサナー瞑想。その肝は「今という瞬間に完全に注意を集中する」ということ。何をしていても「今・ここの自分」に気づいていく。自分を客観的によく観ていく実践によって、心を成長させることを目指すのだそうだ。
これって、進藤さんに言われた事と似ていると思った。演技をしようと思ってするのではなく、自然にそうしたくなってする為に、今・ここで起きている事に集中する。あと演技をしようとしていないか、自分の体の状態はどうか、周囲への注意はどうか、自分で自分を観察して、とも言われた。
ヴィパッサナー瞑想は通常、呼吸の出入りに意識をおき、同時に周囲で起こっているあらゆる出来事に気づいている瞑想法だという。ブッダが発見してインドで伝えた後も、外国に形を変えて伝わっていったが、基本的な技法は一緒。スリランカでは呼吸とともに動く腹の動き・感覚に焦点をあわせて観照するという技法。ミャンマーでは最初に呼吸を鼻の先端で見守り、その空気が鼻に触れるときの感覚(冷たいとか、暖かいとか)を身体の細部に至るまで緻密に、ひとつひとつ、冷静に、観照するという技法。タイでは、呼吸の出入りを気づきをもって見守ること、その技法をいくつかの段階にわけて、その進展の過程でおこるさまざまな体験と判断についての注意を喚起しながら行われているそうな。
ブッダは「アナパナ・サティ・ヨグを実習する僧は、樹下に坐り、静かに瞑目し、呼吸に意識を集中し、・・・熟練したろくろ師がろくろをひくときに、長くひくときは長くひいていることを知り、短くひいているときは短くひいていることを知っているように、長く呼吸しているときは長く呼吸していることを知り、短く呼吸しているときは短く呼吸していることを知っている・・・」と説明したそうな。
舞台上でも、集中力が乱れて自分をうまくコントロールできなかったり、何となく動いちゃったり、周囲へ注意が向いてないと自分で気付いた時は、まず呼吸を変えるのだと言われた。「腹に力を入れて息を入れ直すんだね」と。テンパッちゃったり、スベッちゃった自分を取り繕おうとはせず、そうだった自分をそのまま観て、再度集中する。その時は呼吸を変えると、体も変わると言われた。
結構普遍的な事なのだ。ちなみにダルマさんによって中国に伝えられ、道教と融合して確立された坐禅も、ブッダの実習したアナパナ・サティ・ヨグから発展した瞑想技法のひとつなんだそうな。そういえばお坊さん以外でも座禅をやってる人は結構いると聞くし、美容目的のヨガも人気。
自分はまあ続かないとは思うが、店が暇な時は自分の姿勢や呼吸を意識しながら歩き回ったりなんかしてもいいかもと思った。その内半眼でお客さんを迎えちゃったりして。
参照:ウィキペディア
インド・アーユルヴェーダ