顔の妄想

STOUTの店番と掃除、フクちゃんの散歩をする。孫正義氏の新卒向け説明会の動画を観る。ちぎれるような思い=生の実感を甚だしく感じる瞬間と理解した。自分で決めた事に身を委ねているからこそ身悶えるような実感を得られるのかなあと思った。
実感に関連して、自分が一番怖いものは何か考えてみる。非現実的なものの中では「空中に浮かぶ顔」がある。ふと視界に顔に見える物を見た時よく妄想する。自分を見張っていた顔が、見られた事をきっかけにあれこれと恐怖を増幅させようと動き回るのである。この顔が、いつも女性に見えるのが興味深い(逆につまらなくもある)。
怖いものを考える上で、個人的なトラウマに思いを寄せると、父が思い浮かぶ。自分はまだ年若い医者の診断ミスで母の母体の中で圧迫死しそうになったせいか、閉所恐怖症であった。幼少の頃は極端に狭い場所や圧力を感じる時には我を失い泣き叫ぶ。これを面白がって父は酔っている時など座布団をよく使った。ホラー映画に見入っている時などよくされたもんだ。
父方の祖父も酔っぱらいであった。毎年お盆や正月には子供たちを呼び寄せ、自宅で宴会を開き、仔細が判らなくなるまで酔っ払うのであった。ある時酔っ払った祖父を寝室まで連れて行くように父に仰せつかった。当時の自分は肥満児で、いかにも体力も有りそうだったので任されたのだろう。しかし他人との接触に慣れておらず、完全に肉に成り下がった酔っぱらいをバランス良くコントロールできる力はなく、転んで祖父は頭をしたたか打った。父は「お前はおじいちゃんの信頼を失ったんだぞ」と酒臭い息で怒った。自分は人の役には立てないのかとへこんだりした。
トラウマと書いたが、よくある話である。自分が父だったら(しかも酔っていたら)同じようにからかったり、思い通りにいかないと怒るだろうし、その点では全然恨んでいない。心が痛んだというだけである。
トラウマには女性的なものはまったくないのに、空中に浮かぶ顔がやつれた女性なのは、また違った理由がありそうである。本質を見据えている目とか、そういう事だろうか。未だによく解らない。
(付記)今回も酔っ払いらしく脈略が無いです。