要領

4月に入って一週間、3日以外は惰性で毎晩飲んだ。創作は停滞し、思考は表面的な物事に追われて深まる事なく止まっていた。twitterを積極的に使い始め、ブログにはそれらしい事を書いて日々をやり過ごした。

オンライン上の私が有機体の身体を持つオフラインの私と精神的にも近くなっている現状には新しい哲学が生まれてきていると思う。生き方がツールによって影響を受け、広がりを持ち出した感じがする。

とよく解らない事を1日に書いているがこれは「哲学」ではない。ライフスタイルはツールに影響を受けるというのは正しい。ライフスタイルが他者との新しいコミュニケーションツールによって「広がりを持つ」というのも正しいだろう。でも「生き方」が広がるというのは間違いだ。自分が人生において何を求めるかはツールによって決められるものではなく、独断的に自分が決める事だからである。道徳や一般常識は勿論、時に個人がしてきた経験によってすら影響されてはならない決定なのである。自分が生き方を決める上で、個人がしてきた経験以外に根拠となるものはない、と言われるかも知れないが、人間の行動は全てがその場の状況に反応としてなされる事であるとしても、一度生き方を決めた後は、生き方に即さない行動による経験から生き方が影響されるような事はあってはならないのだ。
また解り難くなってきた。要は新しいライフスタイルに、自分の人生に明るい展望を見出したいという只の願望に過ぎない。
先日、ソフトバンク社長の大学新卒生説明会でのスピーチを見た。残念ながら、全く惹かれなかった。彼ほど自分の生き方を明確に定め、それに即した人生を送っている人はいない。信念を貫く熱意も努力も半端ではなく、すごい人だと思う。だが自分には彼独自のライフスタイルが語られているように感じられてしまった。本人はおそらく自分の生き方を語っていたと思うのだが何故そう感じられなかったのか。それは多分、彼の生き方に「弱さ」が全く感じられないからだと思う。事実全く無いのかも知れないが、自分には弱さを排除した生き方は、魅力が無いというか、人として信頼出来ないのである。勿論自分で生き方を決める時に弱くありたいなどと誰も思わないかもしれない。でも自分が思うに人間は死ぬまで弱さを抱えて生きるもので、克服する為に努力こそすれ、そもそも無いように見える生き方は「ほんと」じゃないように感じる。彼も自分の弱さを見つめ、克服してきたのかも知れないが、それが感じられない。とここまで書いてなんだが、新卒生の前で弱さは出せないよな。出す意味も無いか。
でもまあ、自分が決めた生き方は「生のままであること」なんだなあと改めて思わされたスピーチであった。我ながら先の展望が見えない生き方であると思う。