英語の勉強

綺麗な英語を話す青森県民に成ろうとひっそりと宣言したものの、イメージだけだとモチベーションが弱いので「憧れのあの外国人と話す」を目的にしようと思ったが、そもそも憧れている人がいない事に気付く。あとは英語圏に移る位しか思いつかず「う〜ん」となってしまった。「ネタでいいじゃん人生」とか書いてたが、肝心のネタが面白くないと全然よくないのである。英語の記事やERIの講義を読んだりiKnowをやったりするだけではこれまでの学校の勉強と変わらない。知り合いにもらった英会話のCDを聴きながら走ったり、会社で英会話の先生と話す時期もあったが、肝心が無いままだったのでやっぱりちょっと空しかった。
『静かな生活』という映画の中で「ひくーい階段を一段降りるように死ねる」そんな積み重ねない生き方を志向したいというセリフが確かあったと思う。一緒に観ていたウチの親父は「それは違うだろう」と異議異議していたが、うまい言葉は出てこないようだった。

微妙な問題よね。何を積み重ねないのか?映画では、地位、名声、お金やお金を得る為に自分を束縛する行為など、他人を押し退けて自分を維持する事や不自然な自己主張の気持ちを指していると思う。当時の親父はきっと人生で何より大事なのはどれだけ切実な熱い欲望を持ち、実現させるかだと考えていたので、業を押さえつけるような物言いに反感を持ち、共感できなかったのだろうと思う。
そんな親父は学校の先生だった。生徒に慕われるのも当然だなと思う。

まあ実際、宮本信子演じる「団藤さんの奥さん」は直情径行キャラであり、ちょっと独善的な上から目線の感じはした。でも将来に具体的な熱い志を持てない自分にとっては、正直言って首肯したくなる心地よさがあった。そう、ゼロに限りなく近い生活とも言っていたような。

個人として限りなく無に近い意識をキープしながら、社会的には積極的に交流をし世界を広げる。そんな事ができるのだろうか。未だに自分の欲望が具体的な形にならない。
自主映画の『備忘録』では割と近付けたが、『出奔』では言葉に答えを求めた分、欲望からは遠ざかった。
本当の事とは何か答えは出ないのかも知れないが、それは欲望に反するものではあり得ないだろう。どこに何をどう具体的に落とし込むか。そこに英語は必要になってくるのか。まだまだ面白いやり方を見つけられないでいる。携帯がiPhoneになった。