暇人


「酒を飲むのが習慣になった」と書いたので早速止めてみた。ちょうど村上春樹の『1Q84』もあるし素敵なタイミングである。有限な時間の中で生まれてきた理不尽さと如何に向き合い、決して解り合えない世界とどう交わるのか。その交わりの中で自分という主体が如何に変容し、その先に何が生まれるのか客観的に提示したい。これから作る映画の話である。まだ答えは見えないが「受容する」という事は諦めではなく、主体が変容する事だと感じている。

誤解の無いように(誰の?)書いておくが、自分は自分の在り方にあまり不満はない。生まれてから不断に続く「リアクション」の中で培われた「私」の特徴として、出来るだけ自然に、広く浅く物事を捉え、反射的に行動し、常識、規則、価値感など外部から与えられるものを信じないという事がある。もちろん社会生活を営む上で自分に課せられている制限や、社会の一部としての属性、経験的にどうでもいい事にこだわったり、時には思い込む事も有るという特徴は認識している。

ただそんな条件下における自分の振舞い方や身の処し方については結構満足しているのだ。以前日記で、自分には拘束されるだけの生活は無いし、日常レベルで拘束される程の自分すら無いと書いたが、「その気になればいつでも止められる」自由はキープしている(つもりだ)し、自分は愛されたいと思っているとも書いたが「自分が愛される事は信じていない」し、特に求めるつもりもないのである。

これからもそんな自分でいられるのか、根本的に変えざるを得ない時が来るのか判らないが、いずれにしても今のところ幸せなのである。ただ映画を作るにせよ、芝居をするにせよ、文章を書くにせよ、もうちょっと面白くなりたいので、「深める」事に挑戦したいと思っている。時間の許す限り。

追記
ていうかエロスは実生活で体感したいと思ってるし、無意識では不快でも意識的には「皆好きだぜ!」て感じだし、酒を止めたのはこの日だけの話なんだぜ!呆れてないで絡んでくりゃれ!無理?