ひとりあそび


休日。燃えるゴミの日。『ゲゲゲの女房』をリアルタイムで観たいので、過去の分を一気に観た。脚本いいなあ。出演者も皆いじらしい。大杉漣はシンプルなキャラがいいなあとひとりごちる。『ソナチネ』もシンプルな役だった。佐々木すみ江リューマチ持ちの貸し本屋のお婆ちゃん役なのだが、素晴らしいの一言。脇役だが自由奔放で優しい昔の下町のお婆ちゃんを自然かつ嫌味なく演じておられる。上品過ぎるようだが仕方あるまい。

燃えるゴミを捨てて酒を飲んだ。前の晩に夜更かしした事もあり、一日だらだら過ごす。だらくそ。今まで「他人に伝わらないのは、技術的に未熟だから」と思っていて、今もそれは変わらないが、人間は一人一人が違う種族のように精神の在り方が異なっているのだと思うにあたり、少し考えを改めた。「他人に伝わらないのは、狙いがズレているからだ」

共感できるものというのは非常に限られている。「愛する」という事も無数の捉え方があるが、自分にとっては非論理的な事であり、そもそも「誰にでも出来る(はずの)行為」だ。結局自分の捉え方に収まっているが、頭で考えている限りそこから逃げ出せない。

もちろん共感を求めるなという事ではない。伝える相手の前提として、他人の捉え方が甘かったのだ。狙ってできる事ではないかもしれないが、もう少しクールに物事を見られるようになりたいと思った。













あははははっどうでもいいよどうでもいいよ言葉なんてどうでもいい。あはははは。
追記
どうでもいいような気になってしまったのだろう。悲しいことだ。