さじ加減

ゲゲゲの女房』の流れでテレビつけてたら「女性の体が生涯に出す女性ホルモンはスプーン一杯分」という情報。
そして杉本彩とよた真帆。テレビの釣り方は相変わらずであった。


極少量で決定的な影響を及ぼすホルモン。

決定的な影響力をもつものは、極少量でも効くのである。

変化をもたらす影響力の強さで言うとウィルスというものもある。伝播力も強い。

だがよほどがんばって栄養素だろう。鉄分、ミネラル、たんぱく質、炭水化物。

しかし自分を振り返ると排泄物ばかり垂れ流している気がする。

排泄物でも気にせず摂取する事もできるが、精神のスカトロにはいい事はないと思う。

何の話かというと作品の話である。

言葉と感情を粗末に扱うものは、うんこしか作れない。

せめて自覚的でありたい。



今朝は早めにフクちゃんの散歩に出たら、通勤・通学途中の人々と一緒の道行きとなった。
朝食の炒め物だろう、猛烈なバターの匂いが武蔵野のまっすぐな道に漂っていた。
「通学路 おばちゃん バター使いすぎやで」
という俳句らしきものが浮かぶ。ちと違う意味に取られそうである。
フクちゃんのうんこを拾い、立ち上がったら猛烈な立ちくらみがした。
「あんた慣れてるからって気ぃ抜いたらあかんで。きばりや!」と脳内おばちゃんの声がした。
見たことも無い俳句のおばちゃんと脳内おばちゃんが融合して言うのは新しいウィンストンのキャッチコピーみたいなのだった。

今日は『4畳半神話体系』が放映されるじゃないかと思い


を見て(しまったまた今見てしまった)「やくしまるえつこ」の歌みたいなのをいいなあと思うというのは、自分の根っこは彼女の歌のような「あどけなさ」を魅力のあるものとして提示できる事に嫉妬を覚えるおぼこであり、顕在化されたものを見るとその事を認識できるからなんじゃないかと思ってみる。(彼女自身がおぼこいわけではない。というかよく知らない)

成長するに従い、根っこ自体を成長させるか、根っこの周りに壁を作り上げるかして社会に適応していく。自分は後者で、庇護される対象として清潔な部屋で清潔な服を着て純真ぶって一人で居るのではないか?そんな自分の根っこを「感受性」とかいって自分で肯定していないか?えええ??

見る人が見れば「つついたらすぐ泣く」「無力なぷるぷるしたもの」だとすぐにわかるだろう。外見はゴツく、精神も肉体も男なのに根っこがかわいい(とは限らない)少女なのである。

仕方ない事だがこの想像はキモかった。が、もっと外部で根っこを擦ってスレさせてやらなければと思った。やれやれ。


自転車で西新宿→地下鉄で馬喰横山foil galleryに荒井良二さんの個展を見に行った。描いている対象だけではなく、描いている瞬間の空気や描く理由まで見せてくれるのだった。桁外れのセンスの持ち主。「そして」かわいかった。
「写真撮っていいですか?」「ダメです」
目に焼き付けて、ついでにアートブックを買って帰った。一番心を打たれた絵は載ってなかった。さすが


帰りに高円寺のシランプリに寄ったら店は開いていた。ヒカルさんと話した。
「ネットでは言えない事」について話した。何かが確認できた気がした

色々動いた一日だったが「表面上は穏やかな笑顔を浮かべているが裏ではカオスが渦巻いている事を常に意識していたい」と思った。

馬鹿なりに無知のままで死にたくないのであがくのである。青豆が言っていたように。

言葉にしなくてもいい事まで言葉にするのは「指差し確認」のようなものである。要領が悪いのだ。

自分がご先祖様に守られているというのなら、この要領の悪さゆえだろう。