小話

新作が上の空美術館に展示されることになった。私が住んでいる町の施設で、上の空3丁目にある。行った事はなかったが、広報で作品公募を見かけたので応募してみたら通ったのだった。
搬入の日。作品はイラストと詩のようなものがセットになっていて、かさ張るものではない。点数も少ないので設置はすぐに終わった。係の人が見当たらなかったので館内をうろついていると、常設で銅版画が展示されていた。町に縁のある作家のものだ。ここにもスタッフがいるかもと思い、覘いてみることにした。
最初の部屋にスタッフはいなかった。銅版画は数センチ幅の小さなものが多く、暗闇に浮かぶ静物画が綺麗だった。作品の脇にボタンが付いていた。何も説明はなかったが、明らかに展示に関するものである。解説でも流れるのだろうと思って押してみた。
「ちょっと、どうすんのさ。もう年の瀬だってのに、あんたときたら……。これじゃあ年も越せないよ」
「なーに、心配するな。餅は買ってきたからさ。餅さえありゃ、なんとでもなるよ」
落語である。胡桃が刷られた版画とは何の関連もなさそうだ。隣の作品の脇にもボタンが付いていた。押してみる。
「bzzzzzzzzzzzzzzzbzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz」
虫の羽音のような南アフリカの民族楽器が鳴り響いた。もう一度ボタンを押すと止まった。最初の落語は続いている。なんだこれは。通路の奥から学芸員らしき人がやってきたので、ボタンが作品に関係があるのか尋ねてみた。
「作品と直接の関係はありませんが、うち独自の方法として、展示との関係はあります」
「どういう方法なのですか」
「作品とは関係の無いことに注意が向かう事で、逆に作品の本質を味わうことができるのです」
邪魔をされるとかえって興味を引かれるということだろうか。
「しかしこれではびっくりして作品を見ずに帰ってしまう人もいるのではないですか」
「そうですね。そういう方もいらっしゃいますし、怒ってしまう方もいらっしゃいます」
「ではなぜ」
「うちの展示はこういうやり方と決まっているものですから。気に入って通われる方もいらっしゃいますし」
話を聞くと、絵画や彫刻など動かないものは勿論、コンセプチュアルな機械仕掛けのオブジェや、鑑賞者参加型の作品でも、鑑賞の妨害は行われるらしく、高校野球の実況中継をかけたり、TVを置いて流したり、スタッフで流しそうめんをしたり、バラエティ豊かであった。それらの妨害はいつでも鑑賞者の都合に合わせて止められるようになっており、自然と鑑賞者同士の意思疎通も図られるそうである。
ふと、自分の展示に思い当たり尋ねてみると、担当の者とご相談くださいという事であった。
「この作家さんも納得されてるんですか。もう亡くなられてますよね。」
「そうですね。京王線渋谷駅の、岡本太郎さんの壁画はご存知ですか?」
「『明日の神話』ですか?」
「はい。この作家さんは、あそこの展示されている状況をとても気に入っていらっしゃったそうです」

※フィクションです
引用
狂歌の餅(きょうかのもち)
出典:古典落語百華選 (講談社