ひとり

大多数の人とは表面的な付き合いしか出来ないものである。エネルギーも時間も有限で、全ての人と深く付き合う事は出来ないからだ。というのは建前に過ぎず、家族、恋人や友人よりも、深く付き合わざるを得ない人=自分を守る為に、他人を警戒し、関係ないものとしているのが本音である。

ちなみにネット上の一人称に「自分」を使っているのは、「私の意識と繋がっている体と、与えられた時間と場所の分け前」という認識が一番正確な気がするからである。「体」は時に拡張される事もある。不定形なものなのである。

そんな自分の現在における一番の興味は、女性性のもつ「無」から有を生むシステムだ。以下仮定だが、子供も作品も「無」から生まれるのである。「無」には通常は認識出来ない「見えない核」が存在する。そこに侵入する事で交わりが生じ、認識できる形になる。

ここでいう「無」とは主観で認識できないから無に見えるものである。ちなみに子宮をイメージしながらこれを書いている。
「見えない核」にアクセスするには、システムを知り、見えないものを見る手段が必要で、それは体を使ったものである。仮定おわり

自分が内向的なのは、何故自分はそれをしたいのか、自分で解っていたいからだ。だから内部を確認、観察しようとする。外交的にふるまう時は、できるだけ慌てたくないのだろう。失敗し、経験を積んで大きくなる事への興味は殆どない。不器用で非建設的である。

しかし成長すると見えてくる事もあるだろう。成長するには出来るだけたくさんの人と深く付き合う必要がある。本音で話せる友人や家族は既に何人かいるが、それ以外の人との付き合い方で、今後変化があるかもしれない。また一人の時間も、もっと勉強しないといけないのだろう。

店番しながらそんな事を思った。