ワガママ2


児玉氏はある年の正月、根拠もなく「数年後自分は死ぬなあ」という思いに駆られ、自分が死ぬ前に観たい映像を作ったという。毎年バージョンアップを重ね、身近な友人にだけ配っているというその映像は、今のところミュージックビデオであった。
古今東西の映画から好きなカットを編集して作られたもの。未来の乗り物。見事なステップ。憧れのスター。魔法。などなど。なんと言うか、凝縮された人生の愛しさのようなものが溢れていてちょっと感動した。これは観たいだろうなあ。スプ子女史は学校の指導教官に「映画で人が死ぬ瞬間を編集して10分に繋げた映像を見せられた」と言っていた。…それもみたいなあ…作るのはやめとこう

児玉氏が描く女性は生々しくない。女性が見ても理想の可愛らしい女性である。またアイディアが本当に新しい。質疑応答の中で「制作のコツ」について本人が述べたところによると「作る自分が一番ハッピー、大ハッピーになる事」だそうである。プレゼンでも「これ(本気で)面白いんすよーーー!!!」とか、過剰な気持ちがあると「ああ、面白いね」と伝わるとか。他から投げかけられた仕事でも、本人のモチベーションを上げる事は可能であり、その為にアイディアを練るのだ。UNIQLOCKは「24時間見られるCM」Tabio Slide Showは「靴下で滑る感じを利用した・自分で制御できるカタログ」であり、出演者は皆可愛い女のコ。上がるね。
同じく質疑応答の中で「どこでOKを出すか」の基準については「自分の作品である事を忘れた時」という答えで、おお、と唸った。すごい。ゴイスーですよ。プロだわ。

(脱線)
ネットがSNSで若者を中心に広まってきて、twitterでそれ以外の世代とのやりとりも頻繁になってきている現在はとても面白いと思う。飛躍すると遠い未来には全人類が登録され四六時中ネットにアクセスしている「完全管理社会」になっているかもしれないが、自分はそれもいいと思う。
国家や独裁者に支配される!という恐怖感より、人は利便性を選ぶと思うからだ。実際他者を搾取して生きる生き方には限界があると思うし、皆それを感じていると思うし。生きている実感は他との交わりから生じるものであり、ネットワークがそれを与えてくれるのであればアイデンティティなどどうでもいいとも言える。
メディア(媒体)というのが人間の本質だと思うからである。情報のインプット/アウトプットが不断に行われているのが人間である。ネットやツールがその本質に沿った発展をしているのであればそれを利用しない手はないと思うのだがどうだろう。

いきなり話が脱線したが、児玉氏もスプ子女史も自身がメディアとして素晴らしく魅力的なコンテンツを持っている。彼らのアイディアは自分に正直であり、社会や人間の限界を押し広げるものであり、かっこいい。トークの中でスプ子女史の今後の活動予定について、色々刺激的なものが明らかにされていたが、それに呼応する形でより過激な方向に煽る児玉氏がいて面白かった。彼女の「メジャー、メインカルチャーをハックしたい」という発言には非常に可能性とリアリティを感じ、頼もしく思ったのだが、児玉氏もそれは同じように見えた。

皆(といってもそれほど読まれてないけど)スプツニ子をフォローしようぜ!面白いもんが見れるよ!


帰り道はテンションが上がってしまい、久々に中本の北極を食べた。ハイボールを飲んでたせいもあり5分で完食。これで太らなかったら内臓いかれてるなと思ったが、翌朝ちゃんとむくんでたので健康。


ウィーアーザ。
『真・野球ドラマー外伝』第4話「ウィーアーザ」
天才。