秋婆


祖母菩薩化プロジェクト(仮)でも書いたように、祖母に酒を好きになってもらおうと思っていたのだが、そもそも本当に嫌いなのか電話でインタビューしてみた。
意外にも「酒自体は嫌いではなく、酒を飲む人も酒を飲む場所も嫌いではない」という事であった。酒乱だった祖父の事も恨んではいないと速攻で断言された。
酒を飲まない一番大きな理由は「飲みたいと思わないから」で、両親も酒飲みではなかったらしい。また小学校2、3年の頃、「近所の土手でもんぺの紐も解けたままに、泥酔しているばあちゃん達」(すごい画だ)を見て、「女は飲むもんでないな」と強く思ったのだと言う。
そんな祖母も一度だけ酒を飲んだ事がある。それは第二次世界大戦の戦後、進駐軍がやってくる前の晩だ。場所は当時看護婦を勤めていた陸軍病院で、同僚達と一緒に300g程度のコップで日本酒を何杯も飲んだそうだ。(アテはきゅうりの漬物)「(進駐軍に)何をされるか判らない」という恐怖感の為、いくら飲んでも酔わなかったという。別れの杯のつもりだった。時代を感じるエピソードだ。
その後教員になった祖母には酒を飲む席に出る機会も多かったが、一口も飲まなかった。ビールなどを注がれてもこっそり膳の下に隠し、隣の人に飲んでもらっては杯を空けていたという。宴席の雰囲気は嫌いではなく、気持ちよく酔う人を見ては楽しいと思っていたそうだ。
正月に見せたあの強張った表情は、杯を隠しようが無い家族のテーブルにおいて、いつもは出される事の無い酒(甘いワインだった)を注がれた事に対する動揺だったのだろう。結局その時も一口も飲まなかった。酒を飲まないという事は祖母の信念であり、恨みや嫌悪感ではなかったようだ。自分の思い込みだった。
何かしたい事や、会いたい人は無いかと訊くと、「身辺整理」と「家族」という答えだった。祖母は先日免許の更新をした。マニュアル車に難なく乗り続け、御詠歌の集まりや病院に出かけている。特に行きたい場所もなく、離れて暮らす親類や友人も「訪ねてきてくれるし、電話もある」のでそれでいいという。子供の頃の同級生には会いたいけど、殆ど亡くなってしまったそうだ。
祖母は自分の事を「頑固で安上がりな人」と言った。元々は無宗教で、自分の信念を信じ、悪を成さず、望みは少なく、勤勉に生きてきた。はっきりした性格で、自分では「冷たいオナゴなんだ」と笑うが、それは賢いという事だと思う。曹洞宗に信心するようになってからも、「自分の心を神様だと思い」「先祖を拝み」「弱いものは助け、そうでないものは放っておく」という生き方を貫いてきた。
「子供に会えば子供になり、年寄に会えば年寄になる。悪い人に会えばそっと離れる」祖母の他人との接し方は尊敬に値する。一方で当人は自分の娘(アタシの母ちゃん)の思慮深さを尊敬しているらしく、「地べたに手ついて地面に沈んでいく位(笑)」というなかなか真似の出来ない謙虚さも持っている。

「祖母菩薩化プロジェクト」とか必要ない位、仏に近い人なのである。米寿祝いはそんな祖母の外面を飾り立てる位の事しか出来ないのかもしれない。ともかく、酒を飲ませるのはやめようと思った。

揺らすとタレがよく染み、内臓も溶けだしてうまくなるらしい

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いつも表情が素なのが素晴らしい