そのとき

土偶の雛形を考えながら油粘土をこねていた。そろそろ新宿に買い物に行こうかなと思ったら、揺れ始めた。棚を押さえながら最初の揺れが収まるのを待った。CDや本はガンガン落ちたが、粘土はしっかり立っていた。
電話は使えないので諸々メールを送り、友達とskypeで会話しながら情報を確認する。twitterは途切れずどんどん更新されていく。地震直後に土木関連株が一斉に売りに出されたそうだ。青森ともskype、メールで連絡が取れたが、仙台の友人達の安否は不明だった。
街に出た。フクちゃんちも無事。STOUTも無事だがオーナーの実家は仙台である。公衆電話やバス亭に長蛇の列が出来ていた。


ストップモーションは建物に命を宿す

見方を変えるアート

いつか皆で食べに行きたい


夜になり、都内には帰宅難民が大量発生した。twitterでは休息できる場所や交通情報などが飛び交っていた。TVでは東北の太平洋岸の惨状を伝えていた。ご飯を炊いて、おにぎりを作った。仙台の友人達は、日頃そんなに仲良くしている訳ではない。つい先日skypeで10年ぶりに話したり、上京してきた時に飲んだりした位で、疎遠にしている。
なのに無事が確認できない事がとても辛い。知り合いの数だけ辛いのかといえば、知らない人も傷ついたり悲しんだりしているのはやはり辛い。悪人と言われる人でも、不在を悲しまれる人がいるのであればやはり悲しい。自分で作ったくせに、土偶に無事を祈った。