馬鹿とは
失敗するのがかわいい
80秒のが好きだ
他人が見える自分、教えて欲しい。ただ欲しがるのは甘えだけど
一つ前のエントリで自分は大馬鹿だと書いたが、これはもちろん否定的な意味で使った。馬鹿は肯定的なニュアンスで使われる事もある。「あいつは馬鹿だなあ」とは、あいつの行動を楽しんでいたり、憎めないやつだと好ましく思っている時にも言う。
割に合わないと思われる事をする人を馬鹿と呼ぶ訳だが、本当に損をする事を想像する力がない低脳と見下される人と、好意的な評価を得て親しみを持たれる人との違いは何か。それは本当にやりたくてやっているかどうかで判断される。
それをすると損だと思われる事でも、やる本人に「どうしてもやりたい」とか「それをせずにはいられない」という欲望があるなら、どんな結果でも本人は満足はしなくても納得している筈だ。他人に判断される事ではないのである。
(自分に欲望は無いのか。そんな筈は無いが、あまりにも本能が退化して自分では判らない。ただ変態的な経験だけが増えていく。)
自分の行動を振り返ってみると、「以前食べて美味しくなかったものを」「お金もないのに高い金を払って食べ」「しかも肉体的苦痛を受けた」わけだが、自分がこれに満足しているのかといえばそういう訳でもない。勿論「普通は食べられない(食べない?)ものを食べる」とか「ちょっと変わった事をしている」という理由もあるのだが、結論が「二度と食べない」である事は最初から判っていた筈である。一番辛いのを食べたという新しい経験が増えただけだ。
満足する事などないと判っているのにそれをしたのは、本当は判っていなかったという事でこれは否定的な意味での馬鹿だ。まず欲望があり、実現する為に行動した結果が普通じゃなかった、というのが本当はやりたいのに、普通じゃない事をする事が目的になってしまったというのは、単に迷走している大馬鹿だろう。
自分に染み付いた優等生ぽさを剥がしたくて色々と極端な事をしたがるが、やるべき事をやっていないだけだ。他人との交わり以前に「(何がしたいのか)よくわからない人」を脱却できていない。その事に焦り、こんなつまらない事を書いてしまったりする。
まあ、馬鹿な事やってる自分は好きなのだけど。
(今日のtwitter)
あなたが食べている時は、ただ食べなさい。散歩に出かけている時は、ただ散歩しなさい。「私は何か他のことをしなければならない」と言わないように。その行為に完全な注意を払いなさい。
本当にしたいのか注意