独りよがり
生ものなので、吉祥寺アトレに入っている黒船のどら焼きを食べた。小ぶりで黒糖の味が丁度良くて美味しい。手提げ袋のデザインがうるさくて惜しい気がする。こんなんでいいんじゃないか↓視覚において美しいとは見やすい事だと思う。
失礼。ところで今日はとてもいい天気で、カラスが本当に綺麗だった。ゴミ捨て場を汚すので嫌われているカラス。効率よく栄養を摂るには人間のゴミが一番だろうと思う。「烏の濡羽色」と言われる羽も、黒真珠のような目も美しいが、仲間と情報交換をしつつも基本的に独りで合理的に生きる姿は美しい。
RPGのLv.2位で出てくるモンスターみたいだな。フクちゃんも真っ黒で美しい。ハードカバーの本とDVDを売った。本は1冊150円程でやはり安い。村上春樹とかまとめて1500円位で販売するんだろうに。DVDは大して面白くないものでも1本600円とかになる。新しい場所へ行き着く為に使う頭の労働を思えばなんとなく不公平な気がする。
テレビはドラマを観る為にある
解り易い。小バエには容赦しないがクモは殺さない
感情失禁(または情動失禁)wいい言葉だ
低血圧だが眠りが浅いので寝起きはよい。寝ても覚めても内向的な言葉が次々浮かんでくる。だがHDV素材のDVD作成でPCがフル稼働中なので、ブログも書けず浮かんだ言葉が腐っていった。自発的に信じたいと思えるものが無いとか考えていた。(以下妄言注意)
「生さん」には悪いが「ナリタくん」は自らの思考に閉じこもる傾向が有る。この身体と無意識の全て、情動の源泉を「生さん」と呼んでいる。自我やこれまでの経験で作り上げられた人格を「ナリタくん(自分)」と呼んでいる。他人に一番多く呼ばれる名称である。
自分が他人によく言われる事は「会う度に印象も見た目も違う」で自分でよく思う事は「傷ついた事が無い」である。最初の方は衣食住が毎日不規則過ぎるのと考えがコロコロ変わるのを良しとしているのでそれは仕方ないと思う。後の方は自分を守る為に身につけた技術の「弊害」であるとも思う。
傷つくとは、信じていたものに裏切られる事だ。傷ついた事がないというのは自発的に信じた事がないという事だと思う。もちろん生活の中で信じている事もあるが「蛇口を捻れば水が出るだろう」のような、考えずに済む便利さゆえの信じているであり、それは他人に対しても変わらない。なのでいつそれが変わっても「あ、そう」と思う位で傷つかない。
根が素直なので社会では便利さゆえの信じておくべき事を覚えていったが、建前とは別の「仲間内のルール」みたいなものが苦手だった。そもそも教わる事や与えられる課題自分のやり方でしか理解し解決できない。自分が所属する世間での皆で共有する「そういうことになっている」も自発的には信じられないので、押し付けに感じてしまい長く晒されていると壊したくなってくる。お前は社会不適合だと学生寮の先輩にも言われていたのはそういう事だと思う。
映画学校でも「これはいい映画だ」とかいうのがよく解らなかった。映画制作に使うカメラ、人体の物理的な仕組や限界に則った評価は解る。だがそこに情動や無意識や非合理的なものが表現として現れてくるものなのだから、いいも悪いも無いと思う。観る側としては発見、感動、快感のいずれかが有ればそれでよく「これはよくてこれはだめ」というバイアスみたいなものは要らない気がする。要するに共感など求めていないのである。
傷つくといえば恋愛だが、自分が置かれた状況や性欲から始まる、肉体関係を結んでから情が生じる事は有っても、「この人が好きだ。信じたい」と思った事が有るのかと言えば記憶にない。恋人も蛇口の水と同程度の信用しかできないのかもしれない。
自分は他人とわかりあえないまま独りで死んでいく事をよしとしてしまっている。本能を抑え均す教育を受けてそうなった。だが、親が付けてくれた名前とは間逆の生き方ではないかと思う。時にやるせない程の切なさや怒りが生じるのは「生さん」が何かを訴えているのだろう。それは信じたいというか、まだ諦めたくないと思っているらしいのは間違いない。