棺桶


工場の動き感動

「誰かに呼ばれて立ち去った」
人は誰かに必要とされると生きられるらしい。
それが利用に過ぎないとしてもそうであるらしい。
道具であろうとしてはいけないけれど、一人で完結する事はない。
互いに利用し合っている事で人間全体も生きるのだろう。
自分が生きる為には誰かの為に生きなければならないらしい。
めんどくさい事だ。抜けたくても他人に関わる以上抜けられない。

「誰かが必要としているから生きられる」とか「悪を為さず孤独に歩め」とか「路辺に倒るに適す」とか本当にどうでもいい事だ。生きたければ何をしても生きればいい。「○○したい」と言うのは本当にしたいか(必要なのか)自分で疑っているのだと思う。だからもう言わない。ホンオフェ食べたい

春なので2時間待ってフクちゃんに狂犬病予防接種をしてもらい、編集中はネットができないのでノートPCを譲ってもらった。わーいわーい