もやし

子供も加工されてるけど16番(上のやつ)いいなあ。どこだろ

明け広げで理想的な関係だと思う。恋愛にロマンなんていらん

日本人は危機意識が薄いとか言われてるみたいだが、見えないとすぐ気にならなくなるから…それでもなくならないのか。皆被差別者であっても。

徹夜明け。今日も教育テレビを観てたらホナちゃんがもやしを育てていた。小学5年生向けの科学番組。そうそう学校で観せる為なのか、途中で続く…となるんだよなあと懐かしかった。

その感覚が現れてくる、と大勢の道づれがそれに伴ってくる。それは陽気な道づれたちで、彼らの顔々は笑い、そこでわたしも笑いはじめる。わたしは、憂愁も、屈辱感も、孤独もが──気持ちがよくて元気づけてくれることに驚愕しながら、笑っているのだ。
(ユーリー・オレーシャ『愛』の中の一篇『わたしは過去を眺める』より)

朗読を契機に本棚を覗いては昔の本を引っ張り出している。知人にもらった大判の画集などもパラパラめくっていると楽しい。ちなみに未だ読んでない本を売るかどうかの判断はできない。雨。低気圧がぐるぐるしているらしく、東北は季節外れの雪らしい。
「ちまよい」はまた日曜の午後にでもやるつもりだ。生放送で小説やエッセイの朗読なんて難しい事だ。でもそれ位できるようにならないとね。自分にとって生でやる事が大事。必要以上に緊張しないで、間違っても動じない事が次の目標。

誰が何と言おうとカラスの頭。明日は出かけるし夜の散歩の前に寝ておこうと思ったが、寝る前にちょっとこねた。もっと無表情で凛々しいイメージなのだがこんな顔に。リアルは求めてないが目玉がうまくなかったので食わせた。楽しそう。

日没まで見た短い夢。頭の中で想像した女の子が実際に現れて自分が想像したものだから彼女も自分の事を知っている、コワイと慌てて逃げ出すという「どっかで見たような青春学園ホラーだな」と思いながらも楽しい明晰夢。どんな女の子かは遠目でよく見えなかったがロングヘアーだった気はする。

深夜母から電話があった。年金を少し振り込んでくれたらしい。情けないが明日は散歩代も入るし、家賃が払えるので有り難い。実家の犬は内臓機能が殆ど停止していよいよ末期らしい。丸いタライの中にじっとしていて、時折水を飲んでいるそうだ。例の如く小一時間話す。相変わらず親父の事を気にしていてかわいい。

母の名は平仮名ではなく漢字なのだと初めて知った。

自分が何故平気で生きてるのかといえば不安定を是としているからに他ならない。不規則なので身体にはあまりよくないみたいだが、震災前ももやしと納豆を主食に生きてきたし、これといって日常に変化はないのであった。
自分の使命というかやりたい事は、他人を生かす事に他ならないと思う。相手に合わせて変わってしまう事に何のためらいもない。ただし、それができたとしてもきっとその時だけの事であって、自分では判らないだろう。それでいい。

そういえば会う度に外見から違うと言われるが、ラグビーで右の耳を潰されてしまった事はストレスだったかもしれない。いつ見ても変わらない形である事が不思議で、不自然でそこだけ潰された瞬間にピン留めされているかのようだった。まあ、そういう事だ。


もやしは暗所で水で育てるといつも食べてるやつになる。土と太陽で育てると緑の葉っぱがつくが食えないのだろうか。